
あなたが、まだ満足行く結果を残せていなかったとしたら。
何か「焦り」のような感情を持っているかもしれませんね。
- 何も成さないまま、老いて死ぬわけにはいかない。
- それじゃあ、何のために生まれてきたのかわからない。
- 1日でも早く結果を出したいのに…!
と、こういう類の焦りです。
この焦りがあるために、負の感情が宿ってしまう。ときには、大きな声では言えないけど、家族の存在すら負担に感じるかもしれません。
気持ちはよくわかります。
しかし、この「焦り」は、本来なら必要のない感情。
そうですね。イメージ的には、買っても買わなくても良いのに、「マイホーム買わなきゃ!」と思ってしまう固定観念みたいなものです。
そう、勘違いなんですよ。みんな勝手にそう思っているだけ。
そもそも、人間に「生きる意味」なんてありませんから。デフォルトでは、人生に目的も使命もないのです。あると思い込まされているだけです。
あ、多分大丈夫だと思いますけど、「生きる意味なんてないから、今すぐ自◯しよう」って話じゃないですよ。
そうじゃなくて、あなたが肩に乗せている「目に見えない重荷」を、取り払おうという話です。本来なら感じる必要のない焦りから、あなたを解放したいのです。
生きることに、意味なんてないから

冷静に考えてみてください。
犬や猫が、「生きる意味」を考えて生きているでしょうか?
もう少し知恵のありそうな動物でも良いですよ。イルカやチンパンジーは、「生きる意味」を考えながら日々を過ごしているか?
ないな。ないない
考えていることと言ったら、大半が「飯」の話。あとは、敵から身を守ったりとか。総じて言えば、「生きること」そのものが、生きる目的なのです。
強いて言えば、あとは繁殖して子孫を残すくらいのものです。
ご飯があってそこそこ安全なら、もうそれで十分。動物園のライオンみたいに、四六時中ダラダラと寝そべってるだけです。それが普通の生き方です。
人間も同じですよ。
ろくに働きもせず、何かに向かって努力もせず、毎晩飲み歩いているような人を見たら、誰でも眉をひそめるでしょう。なんてチャランポランな奴だって。
でも、それが普通。実に自然な生き方です。
親や先生から口酸っぱく言われた、「人様に迷惑だけはかけるな」さえ守っていれば、他人がどうこう言う資格なんてありません。
それじゃ、本当に動物と変わらない…
そうだよ。言ってるでしょう、人間もただの動物だって
もしあなたが、「神様は、自分達に似せて人間を作った。だから動物とは違う特別な生き物なんだ」という世界観を持っているなら、これは意外な話だったかもしれません。
しかし、ダーウィン以降の自然科学的世界観を生きているなら、人間が猿の親戚であることはご存知でしょう。猿どころか、地球上の全ての動植物は、たった1つの原始生物から枝分かれしています。
「人類みな兄弟」と言いますが、実際には「生物みな兄弟」なのです。
全生物共通の祖先「LUCA」とは?
あなたには、あなたを産んでくれた親がいます。その親にも親がいて、親の親にも、また親がいます。
生物は、無から突然湧き上がることはないので、どんな生物にも必ず親が存在します。原理的にはずっと遡っていくことができるでしょう。
- 20〜30万年遡っていくと、ホモサピエンスの共通の祖先まで遡れます。そして、そのホモサピエンス第1号にも、やっぱり親はいるのです。
- 600〜700万年ほど遡ると、チンパンジーに枝分かれする前の祖先まで遡れます。
- 6500万年以上遡ると、哺乳類の祖先まで遡ることができます。
- 5億年ほど遡れば、脊椎動物の祖先まで遡れるでしょう。脊椎は背骨のこと。哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類が、脊椎動物に含まれます。
こうやって、38億年前まで遡ると、全ての生物の共通祖先まで行き着きます。動物だけでなく、植物や菌も、この共通の祖先から枝分かれしたのです。
この現存する全生物の共通の祖となった、おそらくは単細胞生物は、「LUCA(Last Universal Common Ancestor)」と呼ばれています。
38億年前に存在した生物がLUCAだけだったのか、他にも何種かの生物がいたのかは分かりません。また、必ずしも、LUCAが最初に登場した生物とは限りません。
しかし、現存する生物は、すべてLUCAから枝分かれしたことだけは確かです。
完全に余談ですが、西洋圏の男性につけられる
- ドイツ語やイタリア語の「Luca(ルカ)」
- ポルトガル語の「Lucas(ルーカス)」
- 英語の「Luke(ルーク)」
という名前は、「光をもたらす者」という意味があります。いずれも、ラテン語の「lux(ルクス)=光」が語源です。
生物共通の祖先に、「光をもたらす者」と同じ綴りの名前が与えられたというのは、なんともシャレてるなと思います。
人間と動物の違いなんてのは、どこまでいっても程度の差であって、本質に違いはありません。ちょっと頭が良くて、手先が器用なだけの「動物」です。
一動物であるあなた(もちろんボクも)に、生まれてきた意味もなければ、生まれ持っての使命も目的もありません。「ある」と錯覚しているだけです。
ね?生きることに意味なんてないでしょう?
いつから人生の意味を考えるようになったのか?

太鼓の昔。人間がまだ狩猟採集によって生計を立てていた頃。まだ純粋な自然の中で生きていた頃の人間は、間違いなく人生の意味なんて考えなかったでしょう。
一体いつから、自分の人生に、「意味」や「目的」を見出すようになったのでしょう?
- じいちゃんも農家
- 父ちゃんも農家
- 自分も農家(または農家に嫁ぐ)
- 子供も孫も、多分農家
という世界観で、人生の意味や目的を問うことはないはず。
自分が「何者にでもなれる可能性」がなければ、人生の意味もへったくれもありませんからね。
きっかけは、18世紀のフランス革命でしょうか。
絶対王政を敷いていたルイ16世と、王妃マリーアントワネットがギロチンにかけられた、あのフランス革命です。
フランス革命は、人権の革命でもありました。
現代の先進国民が共有している世界観、「身分に関わらず、一人ひとりが人生の決定権を持つ」という考え方は、フランス革命が契機です。
彼らの世界観を継承している現代の先進国民は、「自由」を、自身に与えられた何より大切な権利だと考えています。
その「自由」の代償として、一人ひとりが、自分の人生をどう生きるか考えなければいけなくなった。と、こういう経緯なんでしょう。
だから、小さい頃から、「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢は?」と聞かれ続けるわけです。自分の人生哲学を持つようになる、ずっとずっと前から。
こうして、
- 「何者かにならなきゃいけない」
- 「何かをなさなければならない」
という、ある種の強迫観念につながっているのではないでしょうか?
「自由」は素晴らしいことですし、手放したいとは思いません。しかし、自由は同時に、あなたに「何者かになれ」と迫る厄介者でもあるのです。
これは…あるな
アメリカは、特に「自由」に対するこだわりが強い。きっとアメリカ人は、日本人よりもずっと強い強迫観念に晒されてるんじゃないかな?
哲人達の教え

前章では、人生に「意味」も「目的」もないという事実を、生物学的に捉えました。
角度を変えて、頭の良い人がどんな結論に至ったか、その一端をご紹介しましょう。
ちなみに、興味ない人にはクソつまらない話だと思う
「この話はいいや」っと思ったら、この記事は相性が良くないので、閉じてもらったほうが良いかと
空の思想
「空(くう)」は、仏教の思想です。
仏教の創始者である釈迦は、純然たる哲学者でした。超約すると、あらゆる執着を捨てた先に、平穏な人生を手にできるという哲学です。
そして、釈迦の弟子たちが、「どうやったら釈迦の教えがもっと広まるだろうか?」と思案した結果、数々の経典が世に生まれることとなりました。
その1つが、有名な『般若心経』です。もっとも短い経典でもあります。
同経典の中には、「色即是空(シキソクゼクウ)」という件があります。一度は聞いたことがあるフレーズですね。
あ、「空」の文字が入ってるね
- 「色(シキ)」→「あらゆる物理的なもの」の意味
- 「空(クウ)」→「固定的な実体を持たない」の意味
「色、すなわち、これ、空」とは、つまり「色=空」ということ。「この世界にある全ての物体に、固定的な実体はないんだよ」と言ってるんですね。
言い換えると、「どんなにハッキリとした形がある物体でも、実は砂粒や氷でできたお城のように、流動的な存在なんだよ」と言っているのです。
「自転車」を例しましょう。思い浮かべてみてください。
しかし、「自転車」というモノは存在しません。ハンドル、タイヤ、フレーム、サドルといったパーツが組み合わさったモノを、「自転車」と呼んでいるだけ。
「ピラミッド」もそうですよね。石材を四角錐の形に積み上げたモノを、「ピラミッド」と呼んでいるだけです。
で、そのハンドルやら、タイヤやら、石材やらも、もっと細かいパーツが組み合わさってできています。永遠に細かく分解できてしまいます。
最後には、目に見えない粒になってしまうでしょう。その粒の組み合わせを変えれば、全く別のモノになるでしょうね。
家も、車も、宝石も、お金も、小さな小さな粒の集合体。実体なんてないのです。
「砂で作ったお城のように実体のないモノに、執着する意味あるん?」と、こういうことを言ってるんですね。
2000年前の時点で、ロジカルシンキングだけで、世界が原子のような粒で構成されていると看破しているのは驚愕よ
そして、実体がないのは、人間も同じ。
人間も、各種臓器が組み合わさっただけの存在。その臓器も、細胞が組み合わさったもの。細胞も、分解すれば目に見えない原子の粒。
しかも、細胞は3〜5年で全て入れ替わるので、5年前のあなたを構成していた物質は、もうあなたの中に存在していません。流動的ってのはこういうこと。
あなたという存在もまた、「空」なのです。
あなたが漠然と抱えている、「何かをなさねばならない」「何者かにならないといけない」という焦りは、あなたの脳から発しています。そしてその脳も、元を正せば、サラサラと風に運ばれる砂つぶのようなもの。
現代日本人が漠然と共有している人生観も、時代や場所が変われば、全く違ったものになるでしょう。「ある」と思いこんでいるだけで、実際には存在しない蜃気楼を追いかけている。
仏教学者からは「全然ちゃうわ!ボケ!」と怒られそうですが、「空の思想」はざっくりこういう考え方です。
「じゃあ、気にするだけ損だぜ?」
「気楽に行こうや、ブラザー」
と、仏教の哲人は教えてくれているように思います。
急に軽くなったな。仏教の哲人
ストア哲学
ストア派の哲学は、紀元前3世紀に古代ギリシャで誕生しました。その後は、古代ローマに引き継がれていきました。
ざっくりいうと、「理性」によって「感情」をコントロールすることで、心の平穏を達成しようというもの(仏教哲学とも、通ずるところがあります)。
肉体から来る欲求を消し去って、自然に身を委ねて生きていく。これが、ストア派の教えです(ダーウィン以降の自然科学的世界観だと、欲求に忠実な生き方の方が自然に思いますが、一旦置いておきましょう)。
ということは、必然的に禁欲的な教えになってきます。ここから派生して、「ストイック」という言葉が生まれました。
へぇ〜、ストイックの語源は、このストア哲学なんだね!
そそ。ここで「ストイックになれ!」と言いたいわけではないんだけどね
ストア派の有名人に、「セネカ」という人物がいます。
古代ローマの政治家であり、哲学家でもあった彼の著書には、ストア派で理想とされる賢者の姿が書かれています。
賢者は、財産や所有物や社会的地位ばかりではなく、自分の体や目や手のような、生きるために大切な意味を持つものでさえ — いな、自己そのものすら — あてにはできないとみなしている。
賢者は、それらが自分に貸し与えられたものであるかのように生きている。だから、返却を求められれば、文句も言わずに返すことであろう。
彼らにとっては、何もない状態、この世に生を受ける前が基準なのです。
地位や財産どころか、目や耳さえも、プラスアルファの余剰だと捉える。それらが奪われることになったとしても、ただ自然に返すだけであると。
個人的には、「人生ゲーム」みたいな感覚なのかなと思いました。
不動産を買って、株券を買って、たくさんお金を集めても、それはあくまで盤上の話。ゲームが終われば返すもの。大富豪になろうが、無一文になろうが、それも一時のゲームでの話。みたいな感覚なら、「そうかもなぁ」と思います。
こういう話も出てきます。
とあるストア派の哲人は、一儲けしようと船を出したのですが、その船が沈んでしまい、逆に全財産を失ってしまった(自分の身に置き換えて考えると、かなりキツい)。
ここで彼は、「そうか。これは俺に、哲学に専念しろっていう啓示だな」と、開き直って勉学に励むのです。
ハッとするほどの潔さ。ストイックの語源になるのも納得です。
ちなみに、あなたにそうなれと言うつもりは毛頭ありません。ボク自身も到達できる気はしません。
しかし、こういう考え方が頭の片隅にあるということが、乱された心を平穏に戻す助けになろうと思ってのことです。
実際、ボクは不意に焦りを感じたときには、いつもセネカが語る賢者の姿を思い出すんだ
基準値が高すぎる

人間が、何らかの結果に対して一喜一憂できるのは、プラスマイナス0の「基準値」が存在するからです。
ゴルフの「パー(規定打数)」のイメージがぴったり。
「パー3」だったら、
- 3打で回れればイーブン。プラスマイナス0
- 2打のバーディーだったら、やった!
- 4打でボギーだったら、残念…
となりますね。
基準値が変われば、一喜一憂する閾値も変わります。
実際は、パーで回れるのは凄いんだろうね?
そうだろうね。プロだとこんな感覚なんじゃないかな?
ゴルフやらないから知らんけど
ゴルフから話を戻しましょう。
多くの人は、人生に対して、高すぎる基準値を持っているように思います。
しょうがないんですけどね。「夢は?」「目標は?」と聞かれて、ありのまま、等身大で、平凡で、変わり映えしない人物像を思い浮かべる人はいないでしょう。
頭に浮かべるのは、偉人、達人、英雄、成功者。
この記事を読んでいるあなたは、十中八九、何かを作っているクリエーターでしょうから、売れっ子作家になった自分を思い描いていることでしょう。
平均から大きく乖離した外れ値が、あなたの基準になってしまっている。そして、当然ながらそこに達していない自分を、「マイナス」に捉えてしまう。
どうでしょう?
もし、あなたが漠然とした焦りを感じているなら、当てはまると思うのですが。
いやぁ…これはあるなぁ…
基準値をあるべき位置まで下げよう
あなたは今、本来なら「パー5」で良いところを、勝手に「パー3」だと思って生きている。これを、元の基準に戻してやりましょう。
フラットな気持ちで考えてみてください。
あなたにとって、イーブンな暮らしはどんなものでしょう?
すごく恵まれているわけじゃないけど、「これを下回らなければ、不幸ではないだろう」という生活のラインを考えてみてください。
ボクは、
- 屋根の下で暮らせて、
- 暖かいご飯が食べられて、
- 布団の上で眠れて、
- 痛みや苦しみを強要されることなく、
- 唐突に生命を奪われる心配がなければ、
十分に幸せだと思っています。
基準値って、こんなもんじゃないの?
海外旅行にはいけないかもしれないし、回らないお寿司は食べられないかもしれません。しかし、それは、それほど不幸なことでしょうか?
何度も言っているように、人間も動物も同じ。「生きること」そのものが、生きる目的なのですから、ボチボチ生きていければ万々歳です。
平均的な日本人であれば、この基準値はクリアしているでしょう。「10年後も、生活はできてるだろうな」と思うなら、もう十分クリアです。
これでプラマイゼロ。これが普通のライン。
焦る必要も、悩む必要もないんじゃないですかね?
全てはプラスアルファ
あなたの基準値がどのレベルかはわかりませんが、ボクと大して変わらないのではないでしょうか?
そして、基準値を超えた分は、全てプラスアルファの余剰です。
- 好きなことをして、
- 他人から認められて、
- 暮らし振りも良くなる。
これは、プラスアルファです。余剰です。
実現すれば素晴らしいことではありますが、なくても不足にはなりません。
本サイトには色んな記事がありますが、扱っているのは全部余剰の話。知らなくても十分生きていけるけど、知っていたら人生がより豊かになる。そういう余剰の話です。
生きがいがあるだけプラスじゃない?
さらに言ってしまえば、何かささやかでも生きがいを持っているなら、それで十分プラスだと思いますよ。
自分が何が好きか分からず、「これ!」という生きがいがないままに、生涯を終える人の方が多いのではないでしょうか。
ボクの母もそんな感じ。会社員で経理をして、子育てして、引退してからはのんびりやってます。何かに熱中して生きている感じではありません。
繰り返しになりますが、それが悪いとは全く思いません。それが普通。
そんな中、この記事を読んでいるあなたは、クリエーターとしての生きがいを見出していることでしょう。それだけでも、十分すぎるくらいプラス。
東京駅の丸の内側の出口に行くと、いつも数人のご年配の方が絵を描いています。
いいじゃないですか。老後を迎えられて、東京駅まで通える体力も残っていて、楽しく絵を描いて過ごす。とても幸せなことだと思います。
あなたはもう十分に幸せだ

冗長ではありますが、このことについてもう少し紙幅を割こうかと思います。
こんな風に思ったことはないでしょうか。
美人でスタイルの良いモデルさんが、「悩みなんてないでしょう?」と聞かれて、「めっちゃありますよ〜」と、何やらツラツラと語り始める。
まぁ、どんな人間だって悩みはありますからね。
「でもさぁ…」と。
綺麗事なしで、「容姿が良い」は、それだけで絶大なアドバンテージです。人は、見た目が良い人に好意を持つようにプログラムされているからです。男女は問いません。
見た目の良さは、友達作りにも、恋人探しにも、就活にも、商談にも、出世にも、およそ社会における全ての機会において有利です。
見た目の良さで出世した人、数えきれないほどたくさんいます。見た目の良さだけで、米国大統領になった人すらいます。
よく、「見た目も良くて、性格も良い」なんて褒め言葉を聞きますが、見た目が良いから性格も良くなるんじゃないですかね。本当に頭が下がるのは、「見た目が悪いのに、性格は良い」だと思いますけど。
美人の悩みを聞いたところで、「幸せ偏差値80の人の悩みなんてねぇ」と、頭をよぎったことはないでしょうか?
誇張したから、大分歪んだ感じに聞こえちゃったかもね
僻むとこまではいかないけど、こういう感情を1ミリも感じたことがないってことはないんじゃない?
実はどんぐりの背比べ?
実のところ、もしあなたが平均的な日本人の暮らしをしているのであれば、あなたも「幸せ偏差値80の美人」と大差ありません。
時代が変われば、
- 親と同じ職業にしか就けない人がいました(大抵は農家)。
- 結婚相手を自分で選ぶことができない人達がたくさんいました。
- 女性には、ほぼ人権がない時代が長くありました。
- 次男以降は、出世はおろか、所帯を持つことも許されない人もいました。
- 乳児・幼児の死亡率が高く、10人兄弟で成人できたのは2人だけ、なんてのはザラでした。
- 戦さや飢饉で、唐突に命を奪われる危険もありました。
- 異邦人の持ち込んだ病原体で、10人中9人が死ぬこともありました
こういうことは、現代では全く存在しないか、あっても著しく少なくなっています。
キングダムの桓騎(かんき)将軍をご存知でしょうか?春秋戦国時代に実在した将軍で、作中ではとてつもなく残虐な人物として描かれています。
アニメの方はNHKでやってるので、配慮された表現になってると思いますが、原作マンガでは、ちょっと言葉にするのも憚られる所業をやってます。
が、あながちフィクションとも言えず、特に戦いが苛烈だった中央アジアでは、こういうこともあったんです。
何の罪もない村人が、唐突に現れた軍隊に、一夜にして皆◯しにされる。しかも、極めて残虐な形で。
大昔だけじゃないですよ。かつて中◯共◯党が、どうやって中国内で勢力を伸ばしたかを知ったら、ドン引きすると思いますよ。ここ100年以内の話です。
現代でもある文化圏では、日本では中学生くらいの女の子が、40くらいのおっさんに無理やり嫁がされるのです。そんな風習が残る国に、女性の人権なんてないでしょう。
暗くなる話ばかりですみません。この辺りにしておきましょう。
言いたかったのは、苦しい立場に身を置く人々が、喉から手が出るほど欲しかった境遇を、平均的な日本人は生まれながらに手にしているということです。
彼ら彼女らからすれば、あなたは「幸せ偏差値75」に見えるでしょう。
美人モデルの「幸せ偏差値80」も、大して変わりません。
ビルゲイツとイーロンマスク、どっちが金持ちかみたいなもの。手の届かないはるか上空で、どっちでも良いとしか思えない争いを繰り広げているのです。
もちろん、現代の日本でも、塗炭の苦しみを生きている人はいます。そういう方々に、「お前は十分幸せだろ」なんて上から言う資格はありません。
ただ、ボクと同じく、平均的日本家庭から逸脱しない範囲で生きてきた人なら、もう十分に幸せだと思います。
説教臭い章になってしまったね
まぁでも、良識ある大人には、こういう俯瞰した見方も必要じゃない?
意味を後から付け足すことはできる

ここまでの話を、さっとおさらいしましょう。
あなたは高すぎる基準値を持ってしまっているが故に、そこへ至らない自分へ、焦りを感じています(と、ボクは推察しています)。
ありべき基準値は人によって違いますが、大抵は「贅沢ではないけど、ちゃんと暮らしていける生活レベル」じゃないでしょうか。
が、それですら世界(あるいは歴史)の中では、べらぼうに恵まれています。
基準値を超えた分はプラスアルファ。あれば嬉しいですが、なくても不足にはなりません。不足がないのに、満たされないなどと思う必要はありません。
ここまでが、おさらい
しかし、何も「これ以上幸せを望むな」と言っているんじゃありません。
空即是色
基準値を正しく再設定した上で、あなた人生の「意味」や「目的」を見出していけば良いのです。プラスアルファの幸福を積み上げていけば良いのです。
前の方で、般若心教から「色即是空」という言葉を紹介しました。
- 「色 = 物理的なもの全て」
- 「空 = 固定的な実体がない」
であり、「全ての物体に、固定的な実体はない」という意味でしたね。
ところが、般若心教では、「色即是空、空即是色」と、すぐ後ろにひっくり返した「空即是色(クウソクゼシキ)」という文言が続いているんですね。
「全ての物体に、固定的な実体はない。が、固定的な実体がないからこそ、この世界はあらゆる形にその姿を変えていける」という意味です。
色んな解釈ができますが、ポジティブなニュアンスも感じ取れます。
デフォルトでは、人生に「意味」も「目的」もありはしません。
しかし同時に、あなたが何かを成そうと思えば、何だってできます。何者かになろうと思えば、何者にだってなれます。砂や氷で、(自然の法則に逆らわない限りは)どんな形のオブジェでも作れるように。
おー。なんか深い話だねぇ
全ては自己満
元々全ては意味のない「空」なんですから、あなたが勝手に意味付けしてやれば良い。河原の石ころを集めることに、意味を見出しても良いのです。
他人がなんて言うかは関係ありません。そもそも、河原の石も他人も「空」なんですから、根源的な意味なんてありゃしません。
そこにあなたが、意味を見出すかどうかだけの話。
世界中の人が「意味がない」と言っていても、あなた1人が「この河原の石に意味がある」と思うなら、あなたにとってはそれが正なのです。
要するに、人生なんて、詰まるところは自己満なんですよ。
本人がどう思うか次第。棺桶に入る瞬間に、自分の人生にどんな意味を見出したか。それ以上に何があると言うのです。
人生にとって余剰である「何か」は、あなたが後から自由に付け足せます。その余剰は、少なくてもまぁいいけど、できれば大きい方が嬉しいよねってなくらいの話です。
あなたは、あなただけの人生に、どんな意味を付け足していくんだろう?
時間がかかってもいいじゃない

時間がかかることは、何ら問題ではありません。
だって、すでに基準値はクリアしているのですから。仮にこのまま人生が終わったとして、だからなんだというのでしょう?
何もなせずに死んだ人のことを、「犬死に」なんて言いますが、この発想がそもそもおかしい。犬も人も動物。違いは程度の差であって、本質に違いはない。犬死にが普通。
そもそもデフォルトでは人生に「意味」なんてないんですから。
あなたが追いかける人生の「意味」や「目的」は、すべてプラスアルファの余剰。
時間がかかったとしても、それはそれ。道半ばで天からお迎えが来てしまっても、まぁそういうこともありましょうやって話ですよ。
遊びの途中でも、5時のチャイムがなったら帰ります。遊び足りない気持ちはあっても、「もう時間か」と家路に着くのです。それと同じようなもんでしょう。
よほどの大義でなければ、早く何かをなさなきゃいけない理由はありません。誰かと競争してるわけじゃないでしょう?人生は競争じゃありませんから。
なら、ゆっくりでも良いんじゃない?
3〜5年かかるのは普通
1年以内に望む成果を出すことは可能だとは思います(もちろん、正しい努力をしての話なので、見当違いなことをしていたら10年経っても成果は出ません)。
ただし、全てを捨てて作家業にコミットしたらの話。
現実的には、そんなコミットできる人は少ないと思います。
若いインフルエンサーは、
- 「とにかく作業だ!」
- 「寝る間も休日も惜しめ!」
- 「とにかく最初はハードワーク」
と言います。
しかし、ボクが知ってる作家さんの多くは、家庭があって、子育てor介護を抱えていることも多い。実家暮らしの独身ニートではなく、生活の責任の一端を担っています。
自分1人なら、一時的に身をやつすこともできましょう。セルフブラックもアリでしょう。しかし、家族がいるとそんな勝手はできません。
- 1日12時間×週7日使える人(できるもんならやってみたいわ)
- 1日4時間×週3日使える人
では、どうしたってペースは変わってきます。
逆に、いま自分の時間を自由に使える人はチャンスだから、できるうちに動きまくったほうが良いね
なんやかんや真面目にやっていても、3〜5年かかっちゃうのは普通だと思います。
不器用で10年かかったとしても、「それがどうした?」ですよ。雨風凌げる屋根の下で、暖かい飯が食えてるなら、あとは全部プラスアルファの余剰ですから。
何の損もない。ゆっくりでも良いじゃないですか。
あなたが活躍するのは40過ぎてから!
ボクの奥さんは、結婚するちょっと前の28か29の頃に、占い師に見てもらったことがあります。
そうしたら、「あなたが活躍するのは40過ぎてから!」と言われてしまったとか。
「えぇ、そんな先なん?」と思った奥さん。
いや、誰だってそう思うでしょ
でも冷静に考えてみると、実に妥当な数字よな
アラサーで結婚して、子供が生まれ、手が離れるくらい(小学生くらいですかね)まで育てたら、35〜37。それでも家庭があるので、フルコミットはできません。
そっから3〜5年頑張って、「そろそろ軌道に乗り始めるか?」となるのは40くらい。
一般論では、占い師の見立ては鋭い。というか、まとも。現実はそんなもんですよ。
遅咲きの偉人
ただ「ゆっくりやんなよ」だけだと、まだムズムズする気持ちがあるかと思います。
ここは、老いて盛んになった人を紹介しましょう。何人か思い当たるのですが、良い加減長くなってきたので、1人だけで我慢します。
紹介するのは、「百里奚(ひゃくりけい)」という人物。
春秋時代の秦国の宰相です。時代的には、キングダムの舞台よりも400年ほど古い方です。ちなみに宰相は、今で言えば首相に当たります。
この百里奚さん、40歳頃まで働き口がありませんでした。この時代の中華は大小多くの国に分かれており、どこかの国で仕官したいと就職活動していたのですが、中々機会が巡ってきません。
それで、やっとこさ虞(ぐ)という弱小国に就職できました。そこから十何年か真面目に働いて、大夫(たいふ・大臣級の官職)まで出世できました。
ところが、大国に攻め込まれて、就職先の弱小国が滅んでしまったのです!
そして、何やかんやあって、奴隷の身分にまで落ちます。
ただ、小国とはいえ大臣まで行った人ですから、普通の人とは違かったのでしょうね。ずっと後に中華統一を果たす秦国の目に止まり、羊の皮5枚で買い取られました。
この逸話から、百里奚には「五羖大夫(ごこたいふ)」というあだ名がついている
こうして、後の大国秦に士官することになった百里奚は、すでに齢70となっていました。
ここからやっと百里奚のターン。近隣諸国を平らげ、領土を拡張し、善政を敷いて人民に愛されました。そうして、宰相まで上り詰めたときには、齢90となっていたのです。
70歳で再出発して、90歳で全盛期!
約2600年前のことですから、平均寿命は精々40代かそこらだったのではないでしょうか。約2000年後の信長が、「人生50年」と言ってるくらいですからね。
平均寿命はとうに超えて、明日死んでもおかしくない年齢で、しかも奴隷にまで落ちた。そこから再出発し、誉高い名宰相として歴史に名を刻んだのです。
ボクは多くの作家さんとお話ししましたが、それでも20〜60代まででしたよ。百里奚が再就職した70代よりも上の人はいませんでした。
あなたは今、人生100年時代を生きていて、かつての百里奚より年下で、ましてや奴隷でもない。焦ることはありません。じっくりやりましょうよ。
勇気の出る話だったね!
あなたにはたっぷり時間がある
また違った見方をしてみます。
惜しくも夭折してしまったクリエーター達を見てみましょう。
夭折した著名なクリエーターの没年齢
- 佐伯 祐三(画家)→30歳没
- 芥川龍之介(小説家)→35歳没
- 樋口一葉(小説家)→24歳没
- 中原中也(詩人)→30歳没
- バスキア(画家)→27歳没
五千円札にもなった樋口一葉さん、24歳かぁ…
何とお若いのに…
と、ここで自分の残りの寿命を想像してみてくだい。
凄いざっくりですけど、100歳まで生きるとしたら、残された時間はこんな感じ。
- 30歳→残り70年
- 35歳→残り65年
- 40歳→残り60年
- 45歳→残り55年
- 50歳→残り50年
- 55歳→残り45年
- 60歳→残り40年
- 65歳→残り35年
我々には、夭折した彼ら彼女らが生きた年数よりも、多くの時間が残されています。
そう思うと、今からでも、何だってできる気がしませんか?
「もう遅い」とか「早く成果出さなきゃ」とか、そんな風に思わないでしょう?
もちろん名前を挙げた人たちは天才ですから、同列で比べるものではありません。しかし、あなたが目指す先が教科書に載るレベルでないなら、十分可能性に満ちていると思います。
好きなことやった方が長生きする
「いやいや、仮に100歳まで生きるとしても、健康寿命はそんなに長くないでしょ」とツッコミを入れたくなる人もいるでしょう。
しかし、好きで楽しいことをやってる人の方が、健康寿命は長いのです。
麻生太郎さんや、絵本作家の角野栄子さんは、80過ぎてもピンピンしています。言わずもがな、好きな仕事をやっているからでしょう。
刀匠の今泉俊光という方は、1995年に97歳で逝去するまで、ずっと日本刀を作り続けました。刀を作るって、ものすごい重労働ですよ?それを97歳まで!
人生100年時代をギリギリまで楽しみたければ、あなたが今何歳であっても、何かを始めるのに遅すぎることはないでしょう。
これは絶対そう!好きなことやってる人って、元気だもん!
一度挫折してしまった人へ
- チャレンジしたけど、盛大に失敗してしまった。
- 何かの事情により、これ以上前に進むことができなくなってしまった。
と、挫折してしまった人もいるでしょう。
「ああ、もう全部終わってしまった…」と、思っているかもしれません。
ストア派の賢者のように、「全ては借り物。ただ返しただけ」と自分に言い聞かせるのも1つの考え方。ですが、ちょっとストイックすぎますね。
ボクは、落ち込んだときに、いつも思い出す映画のセリフがあります。
北野武監督の『キッズ・リターン』という映画です。
キッズリターンのあらすじ
マサル(金子賢さん)とシンジ(安藤政信さん)は、落ちこぼれ高校生。周りが受験勉強しているのを横目に、チャランポランな日々を過ごしていました。
マサルは不良で、シンジはそんなマサルに懐いてる子分みたいな感じ。
ある日、マサルがカツアゲしたところ、仕返しに来たボクサーにボコボコにやられてしまいます。
そこでマサルは、シンジを誘ってボクシングを始めることに。しかし、才能があったのはシンジの方でした。
高校卒業後、シンジはプロボクサーとして羽ばたいていき、ボクシングを諦めたマサルは極道の世界でのし上がっていくのですが…
マサルとシンジは、それぞれの夢を追い、夢敗れました。2人は再会し、高校生の頃のように自転車でニケツします。この映画のラストシーンです。
シンジ「マーちゃん、俺たちもう終わっちゃったのかな?」
マサル「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」
そうですよ。まだ何も始まってない。
先の通り、いつ始めたって遅すぎることなんてありません。また、一から始めれば良いじゃないですか。まだまだ時間はたっぷり残ってますよ。
目標は早く決めた方が良い

長々とお話ししましたが、結局言いたかったのは、「そんなに焦んなくていいんじゃない?」ってだけなんですよね。
それを言いたいがために、様々な角度からウンチクを垂れてみた次第です。
もちろん、いま集中的に取り組みたい人、あるいは今チャンス到来で頑張りたい人を止めるものではありませんよ(そういう人は、現時点でこの記事は必要ありません)。
最後に一言だけ付け足しておきましょう。
達成するのに時間がかかるのは良いとして、何を目指すかを決めるのは、早いに越したことはありません。
- 「宇宙飛行士になる!」という目標を立てずして、宇宙飛行士にはなれません。
- 「ONE PIECEを手に入れて海賊王になる!」と決めない限り、海賊王にはなれません。
目指すからこそ、そこまで辿り着けるのです。持ってもいない目標のゴールポストが、向こうからやってくることはありません。
あなたが「どこまで辿り着けるか」は、あなたが「どこまで行きたいか」次第なのよ
あなたがこのサイトを見つけて、この記事を読んでいるのも、たまたまじゃないでしょう。たまたま視界に入るようなサイトじゃないですから。何かを目指したから辿り着いているはずです。
もちろん、途中で目指す目標が変わるのは良いと思います。進んでみた結果、もっと面白そうな道が見つかることもあるでしょう。
そうだとしても、その都度目標があるということが、あなたをより遠くまで連れて行ってくれるのです。

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