

胡散臭い見出しの記事を開いてしまいましたね笑
でも、その通りの話をします。
ときに、当ブログの読者さんは、(ちょっと言葉を選ぶのですが)働き盛り以降の年齢でしょう。要するに、10代や20代前半ではないだろうということです。
であれば、ひしひしと感じているはずです。
「なーんか、時間が過ぎるのが早くなったなぁ」と。

え?毎年自己ベスト更新してるって?笑

わかりすぎてツラい!
何だか一抹の寂しさを覚えませんか?
このまま怒涛のように時間が早く過ぎ去っていって、歳をとるのが早くなっていく。あっという間にジジババになって、あの世へ旅立つときが来るのかと。
「もうちょっとゆっくりと、人生を噛み締めたい」
そう思いますよね?
でも、そんなことができるのか?
時間をゆっくりにするなんて魔法が存在するのか?
それが、あるんですよ。
もちろん、時間が流れるスピードそのものをを変えることはできません。できるのは、あなたが感じる時間感覚をゆっくりにするだけです。
でも、それで十分目的達成できるでしょう。
年々早く過ぎ去っていく時間にソワソワしているなら、ぜひこの記事を読んでみてください。なかなか示唆に富んでますよ?

まぁ、読み物として読んでみてよ。面白いと思うから
注:それっぽいことが色々書いてありますが、全て筆者の主観です。元々はメルマガ用にサラッと書くつもりのネタだったですが、メルマガにあるまじき文量になってしまったので、記事に昇格させたまでです。
ジャネの法則

ボクは、中学1年(いや、2年だったかも)の英語の教科書で、日英の2つのことわざを知りました。
- 「光陰矢の如し」
- 「Time flies like an arrow」
どちらも、「時が経つのは早いなぁ」をオシャレに言ったもの。歳を重ねるごとに時間が過ぎるのを早く感じる現象は、万国共通のようです。
中学生のボクにはピンと来ませんでしたが、今はしょっちゅうそう思います。
最近は、1週間が過ぎるのが早すぎて、白目むいてますよ。「あれ?今日は金曜?前の金曜って、一昨日くらいじゃなかったけ?」って。
歳を取るごとに、流れる時間が早くなっていく。と感じるこの現象は、「ジャネの法則」という名前がついています。
ジャネの法則ってホント?
あなたも、こういう話を1度は聞いたことがあるでしょう。
5歳の子供にとって、1年は人生の5分の1。しかし、37歳にとっては、37分の1。何だか、「宇宙にとっては、人間の一生なんて一瞬の出来事だよね」みたいな話です。
だから、歳を重ねるごとに、感じる時間は早くなると。
この話を聞いて、「そりゃそうだわな」と納得したのではないでしょうか。

ボクも最初は激しく納得したよ
しかし、「ジャネの法則」の真実はちょっと違うんですね。
確かに、若い人は大抵時間がゆっくり流れます。が、歳を重ねた人は、必ずしも時間が早く流れるとは限りません。高齢でも、ゆっくりと時間が流れる人もいます。
時間が早く過ぎ去るのは、歳を重ねるごとに、「予測可能な意思決定」が増えていき、反対に「予測できない意思決定」が減っていくからです。

なんか難しい話しようとしてる…?
意思決定のプロセスから紐解こう
難しい言い方をしましたね。もうちょっと続けましょう。
人間の脳は、1日に約35,000回の意思決定をしていると言われています。1日が86,400秒ですから、「約2.5秒に1回」は意思決定することになります。

寝ている時間も含めた24時間で割っているので、実際には「2秒に1回」くらいだと思う
「え?そんなにしょっちゅう意思決定してるかな?」
と思われたかもしれませんね。
この意思決定の中には、「夕飯のおかずは肉にするか野菜にするか」のような意識的な決定もあれば、「眩しいので、さっと右手を目にかざす」のような無意識の決定も含んでいます。
2.5秒に1回訪れる意思決定に対し、毎回ちまちま考えてはいられないのです。
大多数の意思決定は、無意識下にぶん投げてオートで処理しているんですね。そうでもしなきゃ、脳はたちまちパンクしてしまいますから。
では、どれは無意識のオート処理で済ませて、どれは意識のマニュアル処理に回すのか。脳は、どうやってその選別しているのか?

確かに。どう選別してんだろう?
「過去うまく行った行動は、そのままオートで踏襲せい」と、こういうことなんですね。要するに、「経験則」で処理できるなら、そのまま無意識でGOが出るのです。
「水」が目にかかったときは、指で目を拭うでしょう。そこに意識は必要ありません。過去の数えきれない経験則に従い、オートで指が目を拭っているのです。
繰り返し起きている無意識下の決定は、一瞬のうちに時間が流れていきます。

こういった経験則によるオート処理のことを、行動経済学では「ヒューリスティック」と呼ぶよ
しかし、目にかかったのが「ガソリン」だったらどうでしょう?
きっと考えるはずです。
- 「ガソリンが目に入ったらヤバいよな」
- 「いつもみたいに指でゴシゴシはまずいだろう」
- 「ティッシュで丁寧に拭くか?」
- 「すぐに眼科か?」
と。
お気づきになったでしょうか?
初めて起こるケースは、意識が慎重に判断します。その間は、時間はゆっくりと流れていきます。
時間が早くすぎてしまう生き方とは?

一旦整理しましょうか。
歳を重ねれば、それだけ経験値が増えますね。知識も増えます。反比例するように、「初お目見えの緊張」を味わう機会は減っていきます。
「大体こうやればうまくいく」という経験則が、あなたの日常を支配するように。日々のほとんどの意思決定を、無意識のうちに済ませてしまえる状態です。
言うなれば、通い慣れた通勤電車のようなもの。半分寝てようが、泥酔していようが、ちゃんと目的地に着く。その間は記憶もなく、時間が右から左へスーッと流れていく。
世の定年退職したサラリーマンは、どんなセカンドライフを過ごしているでしょう?
仕事は会社とセットになっていたので、引退した今、すべき仕事はない。子供は独立している。特にやるべきこともない。
- 朝5時に目が覚めて
- 朝ごはんを食べて
- 朝の散歩に出て
- 帰ってきたら早めの昼ごはん
- 午後はソファにもたれながら映画
- うたた寝したら、もう夕方
- 夕飯を食べる
- ちょっとテレビを見て
- もう21時か、そろそろ寝よう
こんな暮らしのエンドレスリピート。まるで、寝ても酔っても間違えようのない、通勤電車のような生活です。
この生活のどこに、意識的な意思決定が必要でしょう?
第2の人生はあっという間に溶けていき、「あんなに小さかった孫が、もう成人式か…」と時間の流れの早さを痛感。最期の瞬間は、もう間近に…。

ゾッとするわ…

そらボケるよなぁ。いや、他人事じゃない
ハンドメイド作家も例外じゃない
本サイト読者であるハンドメイド作家は、老後のサラリーマンのような生き方はしないでしょう。しかし、安心はできません。
実際、この記事をここまで読んでいるあなたは、時間の流れる早さを痛感しているはず。
時間の流れを早くしてしまうのは、ルーティーンのような生活だからです。
ボクはよく知っています。華やかに見えるハンドメイド作家の日常が、実はとっても地味な作業の繰り返しであることを。
「作って、写真撮って、梱包して、発送して、SNS発信して」
また「作って、写真撮って、梱包して、発送して、SNS発信して」
プラスで、主婦(主夫)業や、子育て、介護を含むケースも多いでしょう。これらも、大概がルーティーンです。
そうすると、毎日がほぼルーティーン。判で押したような日々の繰り返しです。だから、時の流れが早い。気づいたら、1週間、1ヶ月、1年が過ぎ去って行く。

ホントそれよ
ボクも似たようなもんです。
- 毎日同じ時間に起きて、
- 朝の家事をやって、
- 子供を保育園に送り届けて、
- 帰ってブログ書いて、
- 夕方に保育園へお迎えに行って、
- 帰って子供と風呂入って、
- 夕飯食べて、
- 一息ついて、
- 就寝。
ほぼルーティーン。判で押したような毎日。本当に時間の流れが早すぎて、危機感を覚えます。
ちなみに言うと、ボクがサラリーマンの頃は、時間が早いと思ったことはありませんでした。毎期、毎年が、それなりの長さに感じたものです。
というのも、会社も上司も、ボクに「こなせる仕事」だけでは済まさなかったからですね。常に、その時分の実力よりも上のチャレンジを要求されていました。
無意識のオートパイロットモードではこなせないので、時間と頭と気力を振り絞って、なんとか食らいついていました。
ところが、サラリーマンをやめた途端、誰も自分にチャレンジを強制しません。こうなると、何かとコンフォートゾーンに留まりがち。
だから時が流れるのが早いと。

ハンドメイド作家だけじゃなくて、個人事業はコンフォートゾーンから出づらいのよね
流れる時間をゆっくりにする方法

というわけで、流れる時間をゆっくりにしたければ、ルーティーンのような日々から脱することです。
日々の中に新鮮な体験を取り入れ、予測不可能な時間を増やす。
- 引っ越せば、
- 海外旅行をすれば、
- 職場を変えれば、
何歳になっても時間の流れはゆっくりになります。
先ほど、ルーティーンだけの生活を、「寝ても酔ってもたどり着ける通勤電車」に例えました。片道1時間、往復2時間が、毎日何の引っかかりもなく溶けていくと。
これが、見知らぬヨーロッパの国だったらどうでしょう?
そうですね。スイス辺りにしましょうか。チューリッヒからベルンまで電車で行くとしましょう。同じ1時間だったとしても、それはずいぶん新鮮な時間でしょう。
- どの路線?
- 乗車賃はどうやって払う?
- 1時間に何本あるのかな?
- 降りる駅はここで合ってるのかな?
同じ1時間でも、寝ても酔っても変わらない1時間とは大違いですね。

「慣れきっちゃいけない」ってことなんだな
究極的には、ノマドワーカーな生き方は、時間がゆっくり流れるでしょうね。
ボクのようなパソコンだけでできる仕事なら、日本全国、あるいは世界を旅しながら、新しい人や文化に触れ、常に新鮮さの中で生きる。サイコーですね。
ただ、こいう生き方は、独身でないと難しい。妻子を持った我が身には、到底叶わぬ夢です。
いや、それが難しいんだろって?
わかっていますよ。ボクだって抜け出せていないんですから!(泣)
が、とりあえず聞いてください。一緒に抜け出す方法を考えようじゃありませんか。

自戒も込めて、こういう生き方をしていきたいという話をしようと思う!
方法1. 資産に余裕を持つ
新しいチャレンジを日常に組み込むには、時間的な余裕が必要ですね。
しかし、時間的な余裕は、得てしてお金に余裕がないと難しいのではないかと思っています。「貧乏ヒマなし」と言うではありませんか。
お金があれば、時間をお金で買う選択も取れます。それは、時短家電かもしれませんし、家事代行などのサービスかもしれません。あるいは、グリーン車で時間を有意義に使うことかもしれません。
さらに言えば、仕事しなくて良い時間を買うこともできます。1〜2年仕事を中断することもできます。あるいは、週3日しか働かないという選択もできるかもしれません。

これに関しては、ボクも実践しているところがある!
サラリーマン時代に溜め込んだ貯金(注:忙しすぎて使うヒマがなった)を、投資にぶん回したおかげで、早めにサラリーマンを切り上げることができました。
今は子育ての関係で、あまり自由に時間を使えない状況ですが、もう少し手が離れれば時間的な余裕もできると思います。
収入を増やし、必要な出費を見極め、しっかり資産運用していく。これが、結果として、自由な時間をあなたにもたらすのです。
あるいは、そもそもの生活費を下げるために、実家に帰ったり、家賃の安い田舎に引っ越すオプションもアリだと思います。住居費は、本当に高くつきますから。
方法2. 持ち物を減らす
地味で気付かれないまま、あなたの時間を侵食しているものがあります。
それは、あなたが所有しているあらゆる「持ち物」です。自家用車のような大きなものから、食器用スポンジのような小さなものまで。

まだピンと来ないな。どういうこと?
たとえば、あなたが自炊するために、「食器」を買ったとしましょう。
- 食器があれば、「食器の置き場」が必要になりますね。
- 食器は汚れれば洗わなきゃいけませんね。
- 食器を洗うには、「スポンジ」と「洗剤」が必要ですね。
- その「スポンジの置き場」と、「洗剤の置き場」が必要ですね。
- そのスポンジ置きと、洗剤置き場も汚れますね。
- そしたら…
と、食器を持ったことに連鎖して、様々な「モノ」や「置くスペース」や「メンテナンスコスト(時間もお金も)」がかかってきます。
仏教の用語では、こうやって何かの行動によって発生する因果の連鎖を「縁起」と呼び、その発生源の行為を「カルマ(業)」と呼びます。
食器を持つことで、カルマが発生し、様々な縁起に連鎖していった。と言っても、おそらく通じると思います(詳しい人からは「違う!」と言われそうですが)。
もし、「うちは自炊しないから皿も持たない!」と決意したなら、根本のカルマはなくなり、その後の縁起も起きないことになりますね。
もちろん、「自炊するな」と言っているわけではありませんよ。多分無理でしょう。
そうではなく、「こんな些細な持ち物ひとつでも、連鎖的に時間や労力やお金をあなたから吸い取ることになる」と、知って欲しかったのです。
ある意味で、どんな持ち物であっても、ペットを飼うようなコストがかかるのです。そのコストを支払う価値があるモノだけを厳選すべきでしょう。
本当に気に入った品を少数持つことをオススメします。

物理的なモノばかりじゃないね。クレカやサブスクも、必要なモノだけに絞った方が良いと思うよ
ポケットが軽くなれば、もっと遠くへ飛べる
余談ですが、三井住友カードのCMにこんなシーンがありました。印象的で、なんとなく記憶に残っています。
登場するのは、俳優の小栗旬さんと青木崇高さん。
青木さんから「飛んでみな、そこから」と促された小栗さん。
立ち幅跳びのように、ヨイショと飛んでみせた。
ポケットの中身を出して、もう一度飛んでみた。
すると、さっきよりも遠くに飛べた。
このCMのテーマは、「お金って何なんだろう?」ですが、ボクはこう感じました。
お金や、物や、地位や、人間関係などを、持てば持つほど行動が縛られていく。守るものが多いほど、人は遠くへ一歩を踏み出しづらくなる。
「縛るものがなくなれば、身軽になったあなたはもっと遠くまで飛べる」
と、こういう話に聞こえました。
想像してみてください。
あなたは今、たった1人で見知らぬ街にいる。
家族はいない。帰るべき実家もない。もちろん持ち家など持っていない。車もない。友達もいない。先輩も後輩もいない。
部屋にあるのは、ベッドとカーテン。それに、小さな机と椅子が1つずつ。
持ち物といえば、バックパックに全て収まってしまう日用品。それと、質素に暮らせば3年くらいは持つであろう額のお金。
あなただったら、何をしますか?
何だってできる気がしませんか?

はい、妄想タイム終わり!
現実に帰ってきてください!笑
方法3. 仕組み化する/高く少なく売る
一番長い時間を過ごすことになるのは仕事。当サイトの文脈では、ハンドメイド業ということになりますね。
ハンドメイド作家の仕事の中から、いかにルーティーン作業を減らしていくか。
やり方は2つあります。
- 外注などを通して仕組み化する
- 高く少なく売る
「外注による仕組み化」は、要するに一作家から経営者になるということ。あなたがやらなくて良い仕事を別の人に振り、空いた時間で新しいことにチャレンジするということです。
その代わりに、マネジメント業務が発生するので、それはそれで新しいルーティーンワークが発生することにはなりますが。

そういう生き方を選ぶかは、作家さんによって違いそうだね
外注などせず、一人でコツコツやっていくなら、「高く少なく売る」しかないでしょう。単価を上げて、販売数量を減らす「厚利少売」です。
デジタル商材のように、数量1でも数量100でも労力が変わらない(経済学では、「限界費用0」と表現される)なら、好きな値段で売れば良いでしょう。
しかし、ハンドメイド作家のように数量1ごとに労力がかかる(こちらは「限界費用が存在する」という表現になる)なら、数が増えるほど身動きが取れなくなります。
人気作家さんでも、販売数が多くて、制作に、梱包に、発送にと忙殺されている人は多いと思います。このままでは、時間は矢の如く過ぎ去っていくでしょう。
QoLを上げていくには、単価と向き合って、高く売っていくことを考えたいですね。「単価が上がるほど、QoLが上がる」と考えても、差し支えないだろうと思います。
方法4. 情報感度を上げる
新しいことにチャレンジするには、新しく興味惹かれることを知らねばなりませんね?
そう、アンテナ感度が必要なのです。
- このお店に食べにいってみたい!
- この国に旅行してみたい!
- このアーティストの曲をもっと聴いてみたい!
- この人達とお話ししてみたい!
- このレッスン受けてみたい!
などなど。
また微妙なニュアンスを含んだ物言いをしますが、若い頃は、アンテナ感度に困らなかったはずです。いつだって、好奇なものに向かって、アンテナがビンビンに立っていたことでしょう。
それが、今はどうか。

新しいものへの興味、だいぶ失ってない?

あぁ、ファッションも、音楽も、芸能人も、どんどん興味薄れてくわ
ボクは、ハッキリ言って感度ダダ下がりです。ヤバいです。もう、「お金払うから、誰か最近の流行をまとめてレポートしてくれん?」と思ってしまうくらい(いや、そのレポートすら面倒でスルーするかも…)。
フジモンさんのように、いい歳したオジサンになっても、若者文化に浸かっていたいと思えるのも、一つの才能ですよね。羨ましいとまでは思いませんが、得だよなとは思います。
ボクの仮説では、子供がいる人ほど、新しいものへのアンテナ感度は下がっていると思います。孫がいる人はさらにで、孫以外にはさほど興味も湧かないのでは?
無理に流行を追うことはないのですが、案外と雑誌なんかをペラペラめくると、面白いものが飛び込んできたりします。
的を絞って、若者文化や流行を扱うメディアをチェックする習慣をつけると良いですね。ただし、入り浸らないように注意しましょう。それはそれで時間が溶けますから。
方法5. チャレンジをルールにする
最後にこれですよ。
チャレンジをルール化する 笑
もうこれしかありません 笑

もう笑っちゃってんじゃんw

もうね、そうでもしなきゃ抗えんのよ
そもそもですよ。
人間を含む、およそすべての動物は、エネルギーを温存するようにプログラムされているのです。基礎代謝を維持しなければ死んでしまいますから、その分動いてエネルギー(=食糧)を調達しなければなりません。
しかし、食糧が十分に満たされているなら、本来頑張る必要なんてないのです。
雨風しのげる家があって、暖かい飯が食えて、体の痛みも苦しみもさほどないのに、なんでチャレンジなんてする必要があるのか?
意識による意思決定が必要なチャレンジには、エネルギーが消費です。なるべく無意識のオートパイロットモードで、エネルギーを温存しようとする力学が働いているんです。
動物園にいる全然動かないライオンと同じですよ。放っておいたら、ボクもあなたもチャレンジなんてしないんです。
そこで、ルール化ですね。強制しましょう。チャレンジ習慣を。
- 「水曜日」のお昼は、必ず行ったことないお店でランチ食べる!
- 「金曜日」はフリーにして、必ず行ったことない街を散歩する!
- 「月に1回」は、新しい人と会って一緒に話す!
- 実働は週3日にして、「週2日」は新しいスキルの習得に使う!
みたいな感じです。

で、これはできてんの?

全然できていない!下の子がもうちょい大きくなったらできると思う!
楽しい時間は短い?

もうこの記事も終わりに差し掛かっています。が、あなたには、こんな疑問も湧いていることでしょう。
「楽しい時間は短いよね」
「新鮮で楽しい日々を過ごしたら、時間はやっぱり短くなるのでは?」と。

良い質問ですね〜(←誰?)
イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、こんな言葉を残しています。
「若い時は一日は短く、一年は長い。年をとると一年は短く、一日は長い」
フランシス・ベーコン(1561〜1626)
ヤバいな、ベーコン。これは震えるわ。
瞬間瞬間で感じる時間の早さと、まとまった期間(1ヶ月や1年)で感じる時間の早さは、別物のように思います。
例えば、高校生活の3年間を思い浮かべてみましょう。
入学したては、新しい生活、新しい人間関係ですから、新鮮な日々を送ります。2年生になれば、クラスが変わり、後輩ができて、またリフレッシュされますね。3年生になれば、受験や就職と、さらなるチャレンジが待っています。
その間も、友達関係や男女の関係、部活やアルバイトなど、日々チャレンジには事欠きません。これほど目まぐるしく変わる日々は、大人になるとなかなか訪れません。
(注:ボクの高校生活は全くこういう感じではないのですが、ここでは一般的な高校生の雰囲気でお送りしております)
楽しい1日は短く感じます。が、しかし、3年の高校生活が「短かった」という印象はないでしょう。
少なくとも、大人の3年の方がずっと短いと思います。ボクも奥さんも、子供が生まれて0〜3歳の誕生日までの3年間なんて、一瞬すぎて記憶すら怪しいです。
チャレンジングな時間を過ごせば、退屈する暇なく1日は過ぎ去っていきます。しかし、長い目で見たらは、それは長く充実した期間となるのです。
「老後は田舎でのんびり。ゆっくりとした時間を過ごしたい」とよく聞きますが、実態どうでしょうね。1日は長く感じても、余生は短く感じるのではないでしょうか。
まとめ
今回は、コラム的な記事になりました。
本当は、メルマガ向けに軽い文章を書くつもりだったんですが、書いているうちに8,000字を超えてしまいまして。メルマガには長すぎたので、記事にしました。

サラッと書こうとして8,000字?そんなことあるか?

ね。記事にするほどのネタではなかったんだけど、書いちゃったからさ
歳を重ねるほど時間が早く感じる「ジャネの法則」。
一般的には、20歳の1年は人生の20分の1で、60歳の1年は60分の1。だから、歳とるほど時間は相対的に早く感じられるね。という話です。
が、実際にはそうではないと思います。
ちょいエピソード:出不精の一人旅
奥さんが下の子を妊娠しているときに、上の子を連れて20日間実家に帰省していました。奥さんのお母さんが手術で留守にするので、その間、猫の面倒を見るという名目で。都会っ子の娘にとっては、自然に触れる良い機会になったはず。
その間、ボクはかれこれ6年ぶりの1人きり。何をしていたのか?
前半の10日間は、所用で家を離れられず、ブログ執筆とVODだけで過ごしました。判で押したような10日間は、矢のように過ぎ去っていきました。
10日目に済ませなきゃいけない用事を全て終えて、残り10日間はフリー。良い機会と思って、1人で旅をしました。出不精のボクには大変珍しいことです。
なんとなく、神戸に行きました。神戸で単身赴任していた父の借家に遊びに行ったことがありました。その後に震災があり、復興があり、そんな街並みをまた見たいと思ったのかもしれません。
羽田から関空までの片道チケットと、神戸3泊分の宿だけ取りました。予定は決めずに、その日その日に行きたいところへ行きました。歩ける距離は、なるべく歩くようにしました。
同じような感じで、神戸から岡山へ、そして広島へ行きました。帰りのチケットはギリギリまで買いませんでした。最終日の広島は、豪雨で何もできなそうだったので、午前のうちに、新幹線の席を予約して帰りました。
1日とて同じ日はなく、発見の絶えない10日間でした。
楽しい日はあっという間に過ぎていきましたが、久しく感じたことのない長い10日間でもありました。直前の家にいた10日間と比べると、3倍か4倍くらいに感じました。
新鮮な日々を送る限り、いくつになっても時間はゆっくり流れます。
お互い、充実した時間を過ごしましょう!
そもそも、「時間」というのも絶対ではないんですよね。なんとなく、「時間だけが、誰にとっても平等な唯一絶対のもの」というイメージがあります。
しかし、アインシュタインの「特殊相対性理論」は、時間が一様ではないことを証明してしまいました(速く動く物体は、時間が遅くなるという話です)。
時間は、我々が思っているよりも、ずっと柔軟なものなのかもしれませんね。
この先の人生を長く楽しみたい人は、ぜひ日常にチャレンジを組み込んでみてください。きっと充実した人生を過ごせるでしょう。

ボクも実践しきれていないことの方が多いので、意識を改めたい!
コメントを残す