現役専業ハンドメイド作家の奥さんのマーケティングやってます♪
今回は、少し変わったお話をしましょう。人によっては、衝撃的な話かもしれません。
あなたが、ハンドメイド作家として本気でのめり込むほど、これまでいた友達がどんどん減っていく。というお話です。
ひょっとすると、こういう話は漠然とでも聞いたことがあるかもしれませんね。これ、真実なんです。
ちなみに、ボクは友達がほとんどいない
はい、わたしもほとんどいません!
あなたは、「ハンドメイドも友達も犠牲にしない!どっちも手に入れて見せる!」と思っているかもしれません。その考え方を否定するつもりは、毛頭ありませんよ。
しかし、あなたが本気でハンドメイドに取り組んでいるなら、近い将来に、あなたの方から友達と距離を置くようになるでしょう。賭けても良いですよ。
いずれそうなるときは来ます。来たるその時に思い悩まないように、あらかじめ心の準備をしておきましょう。
ちなみに、これはそんなに悲観的な話じゃありませんよ。もっと前向きに捉えて良い話です。その訳もお話ししましょう。
学生時代の友達と話が合わなくなるのは当然
結論から言うと、あなたが人生を変えるために本気で頑張るほど、周りの人と話が合わなくなってきます。
あなたが話したいこと、知りたいことには、友人は興味を示さなくなります。逆に、友人が楽しそうに語る話に、あなたは興味を持てなくなります。
友人は、「あなたは変わってしまった」と嘆くかもしれませんね。
おっしゃる通り。あなたが変わってしまい、友人が変わっていないから、話が合わなくなってしまうのです。
もう別の道を歩む人
学生時代の友達と話が合わなくなるのは、言ってみれば当たり前の話です。
友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。
ザ・ブルーハーツ 甲本ヒロト
学生時代の知り合いは、たまたま同じ年に生まれて、近所に住んでいるか、似たような偏差値だった程度の関係です。
狭い人間関係の中で、部活が同じとか、好きなバンドが同じとか、それくらいの共通点で友達になりました。もし学生時代に出会わなければ、一生接点を持たなかったであろう人です。
とってもドライな言い方だけど、事実ではある
しかし社会人になって、あなたは広い世界に解き放たれました。みんなが同じ日々を過ごした学校生活と違い、それぞれが別々の道を歩むことになりました。
もう「あなた」と「あなたの友人」は、
- 同じ期末テストのために勉強してはいません。
- 同じ文化祭のために出し物を作ってはいません。
- 同じように受験勉強で切磋琢磨はしていません。
- 同じ通学路はもう歩いていません。
今は違う道を歩く者同士。
専業主婦になった人もいれば、結婚せずにバリキャリ(死語?)の道を選んだ人もいるでしょう。あなたのようにハンドメイド作家になった人もいます。
行く先々で、お互いに交わることのない人生を歩んでいるのです。話が合わなくなるのは当然でしょう。
もちろん、それでもかつて仲の良い友達同士であったことは変わりません。いや、今でも友達は友達でしょう。
しかし、言葉を交わす機会は間違いなく減ります。かつての友達は、間違いなく、「過去の人」になっていきます。
寂しいかもしれないけど、これが現実なんだ。これが成長するということでもあるし、生きるということでもある
本気になったあなたに起こる変化
あなたが人生を変えるために一歩を踏み出すと、ある変化が起きます。これまで当たり前のように見聞きしていた日常が、急に違って見えます。
ある種の「違和感」を覚えるようになるでしょう。
本気になった人が感じる違和感
- 流行りに疎くなる
- 飲み会が不毛に思えてくる
- グチが耳障りに聞こえる
- 友達が「過去」を生きていると気づく
- 友達が「自分の人生」を生きる気がないと気づく
イメージ的には映画『マトリックス』みたいな感じでしょうか。一度この世界の違う面を知ってしまうと、もう元の自分には戻れません。
「知恵の実」を食べて、色々な真実に気がついてしまった「アダム」と「イヴ」とも言えるかもしれませんね。やはり知らなかった頃の自分には戻れないのです。
ひょっとすると、すでにあなたは、この「違和感」を感じているかもしれないね
逆に言えば、これらの違和感を感じているということは、あなたは次のステージに進んでいるということでもあります。
居心地の悪さを感じると思いますが、ある種の「成長痛」だと思ってください。
流行りに疎くなる
少し前までのあなたは、
- 流行りの曲
- 話題のドラマ
- みんながやっているスマホゲーム
- みんなが呼んでるファッション雑誌
に敏感だったかもしれません。
友達が集まれば、「流行りの〇〇」の話に、花が咲いた事でしょう。
しかし、ある目標ができて、そこに真っ直ぐ突き進む人には、世間の流行などどうでも良くなります。
そんな時間があるなら、「作品を作りたい」「未来のためにちょっとでも勉強をしたい」と思うようになります。
むしろ、「アンテナ感度を上げるために、もう少し流行りにキャッチアップしないと…!」という、おかしな逆転現象すら起こります。
それな!誰かに、今の流行りをまとめて教えて欲しい!
そしてある日、気がつくのです。電車に乗ると、老いも若きも、みんなスマホを眺めている。中身は、ゲームか漫画かYouTubeかSNS。どれも流行りのエンタメです。
ちょっと前は自分もその1人だったのに、この光景に強烈な違和感を覚えるのです。
- 「揃いも揃って、なんて不毛なことに時間を使っているんだろう…?」
- 「日本はこのままで大丈夫なんだろうか…?」
と。一度気がついてしまうと、二度と昔の自分には戻れません。
飲み会が不毛に思えてくる
近しい人との飲み会は楽しいですね。これは学生時代の友達もそうですし、会社で仲の良い人との飲み会もそうです。
今でも楽しいとは思いますが、昔みたいに、素直に飲み会を楽しめない自分に気がつくでしょう。
いつもと同じメンバーが顔をあわせて、いつもと同じ話をする飲み会。ここに顔を出す時間が、もったいなく感じるようになります。
飲み会の時間は、前後の移動時間なども含めると1回4〜5時間にもなるでしょう。二次会も行くなら、7〜8時間くらいでしょうか。
これが月に何回か、あるいは毎週か。それだけのまとまった時間があれば、どれだけのことができたろうか。こう思ってしまうんです。
たまにならいいんだけどねぇ
あるいは、新しい出会いがあるなら、新しい発見があっていいんだけどね
グチが耳障りに聞こえる
ある日、世間の人が文句ばっかり言っていることに気が付きます。
口を開けば、
- 上司や同僚がムカつくとか
- 頭に来る客がいたとか
- 会社のやり方は間違っているとか
- 景気が悪いとか
よくもまぁ、それだけグチグチと言えるよなぁと。
グチを聞くたびに、あなたは「ピクっ」と反応します。その「ピクっ」は、感情的には「イラっ」とですね。
人生を変えるために、自分自身で道を切り開く覚悟を決めた人間からすれば、グチほどイライラすることはありません。
- じゃあ、なぜ自分で現状を改善しようとしないんだろう?
- 個人では覆せない事柄に文句を言って、一体何になるんだろう?
- それで、この人はどうしたいんだろう?
と。
結局グチとは、ただの憂さ晴らし、ただのおしゃべり、ただの酒の肴なわけです。グチる人は、本気でどうこうしようだなんて思っていないんですね。
あなたは行動を始めた側の人。ただ文句を言うだけで何もしない人に対して、ものすごく冷めた感情が押し寄せます。
ボクの経験上、この溝は決して埋まらない
グチる人は、グチる人とつるむ。行動する人はどんどん去っていく
友達が「過去」を生きていると気づく
昔馴染みの友達と話していると、いつも決まって同じ話をします。いつ会っても、「あの頃」の話。何度も何度も聞いたあのエピソード。
結局のところ、あなたの友人は、学生時代の楽しい思い出に浸りたいんです。今よりもずっと自分が輝いていたあの頃に。一番楽しかったあの頃に。
言い換えると、あなたの友人のハイライトは、もう過去に置いてきてしまったのです。しかしあなたは、これから人生のハイライトを迎えようと邁進しているわけです。
今を、そして未来を生きるあなたからしたら、過去の話を何回も聞かされるのは強烈な違和感でしょう。
「あぁ、そうか。みんなは過去の思い出の中を生きているか」と気づくと、違和感を通り越して、悲しさすら込み上げてきます。
昔話に花を咲かせるのは、もっと歳を取ってからでいいね!
死ぬ直前、あの世に思い出を持っていくときだけで十分だ
友達が「自分の人生」を生きる気がないと気づく
多くの人は、グチるだけで、「今の自分」を受け入れています。
別にこのままで良いのです。この世界には多少イヤなこともありますが、それを乗り越えるために、自由な時間を犠牲にする気も、努力する気も毛頭ありません。
受け身で流される人生を、なんだかんだで気に入っていて、「自分の人生」を生きようとしていないということです。
あなたのように、「自分の人生」を切り開く決意をした人は、とっても少数派です。
確率的に言えば、あなたの友達の大半は、「今の自分」を受け入れて、「自分の人生」を生きるつもりなどありません。
あなたとあなたの友達は、根本的に道を違えてしまっているのです。
根っこから噛み合ってないから、話は当然噛み合わないね
違う宗教を信仰しているようなもんだからね。語れば語るほど相容れないよ
あなたから友達と距離を取るようになる
あなたの友達は、他の大人達と同じように、決まったレールの上を行く人生を選びました。一方であなたは、そのレールから降りて、1人荒野を突き進むことを決めました。
再び『マトリックス』に例えるなら、あなたは、元いた世界を受け入れる「青い錠剤」ではなく、別の世界へと進む「赤い錠剤」を選んだわけです。
別の道を歩むわけですから、本来なら交わることも、すれ違うこともない関係です。ただ「昔仲が良かった」というだけで、かろうじてつながっている関係ですね。
こうなっては、話など合うはずもありません。
あなたは、何か話そうとすれば、急に自分だけ「意識高い系」のように感じてしまうでしょう。素直な意見を言っても、鼻につくような気がして口をつぐむようになります。
友達同士なのに、いつしか「アウェイ感」を感じるようになります。
そうして、あなたの方から、徐々に友達から距離を置くことになる
徐々にフェードアウトしていく人間関係
と言っても、いきなり音信不通になる必要はありません(後を気にしないなら、しても良いですが)。
こちらからキックで連絡はせず、誘いが来たら断っていれば良いのです。大人ですから、断り文句はいくらでも思いつくでしょう。
何度も続けて断っていれば、相手も何かを察します。そうすれば、だんだんと関係は離れていきます。
週に1回の誘いが月に1回になり、盆暮れの年1〜2回になり、数年に1度になります。そうやって、徐々にフェードアウトしていけば良いでしょう。
強い気持ちで断っていかないとね
友達がいなくなることを思い悩む心理を乗り越えよう
友達との関係をフェードアウトさせるというのは、要するに「疎遠になる」ということです。
「友達と疎遠になる」という響きは、チクっとしますね。心が痛い気がします。ホントにそれで良いのか、不安に思うことでしょう。
その感情は、生まれつき脳にプログラムされている思考回路です。誰だって、友達がいなくなることに不安を覚えるように、プログラムされているんですね。
生まれつき備わる「ぼっちアレルギー」
人間は、「社会的動物」と言われていますね。これは、「人間は群れで暮らすタイプの動物だよ」を、少し難しく言っているだけですね。
「社会=群れ」と思ってもらえればOKよ
人間は群れで助け合って生きていく動物なので、「村八分」は死を意味します。だから、人間関係のつながりが途切れることに、不安や恐怖を覚えるわけです。
言うなれば、「ぼっちアレルギー」ってとこでしょうか。脳に備わった、一種の防衛本能が働いているとでも思ってください。
今となっては過剰反応に過ぎない
しかし、「ぼっちアレルギー」の心理は、1万年以上前にチューニングされたまま変わっていません。心理と言えど、脳の進化の産物。進化は、100年や1000年のスパンでは何も変わりません。
ときに1万年前と言えば、日本は縄文時代です。
ちょっと当時の暮らしぶりを思い浮かべてみてほしい
当時の「社会」は、イコール同じ集落に暮らす仲間との人間関係です。助け合っている仲間から追い出されれば、あなたは野垂れ死に待ったなしですね。
しかし現代は、環境がまるで変わりました。高度にシステム化した「社会」は、人間関係からは切り離されています。
あなたが天涯孤独で、一匹狼の「ぼっち」だったとしても、日本国や市区町村から追い出されることはありません。電気もガスも水道も使えて、ゴミも収集してくれます。
現代において、「ぼっちアレルギー」は、過剰反応です。免疫が「花粉」をウイルスと感知して過剰反応するのと同じように、「ぼっち」に過剰に怯えているだけなのです。
どうでしょう?正体がわかってしまえば、どうということはありませんね。友達と疎遠になることへの漠然とした恐怖は、現代社会では恐るるに足りないのです。
そりゃ、多少情報は入ってこなくなるけど、どうと言うほどではないよ
インターネットもあるしね
新しいステージには新しい出会いがある
友達と距離を置くことに悲観的になる必要はありません。
なぜなら、新しい世界に飛び込めば、新しい友達ができるからです。
- イベントで隣のブースになったハンドメイド作家さんかもしれません
- SNSでフォローしあった仲の人かもしれません。
- 業種は違えど、同じく個人で働く道を選んだ人かもしれません
大人になってからできる友達は、学生時代の友達とは質が全く異なります。
生まれた年が同じとか、住んでいるエリアが同じとか、そういう人間の本質から逸れた共通点で出会った関係ではありません。
方や北海道、方や沖縄の人でも、親子ほど歳の離れた間であっても、同じような人生観を持ち、同じような道を歩む同志です。本当の意味で似通った関係です。
話が合わないなんてあり得ませんね。お互いがお互いを刺激し合う友達になるでしょう。何度話しても、その都度新鮮な気持ちになるでしょう。
大人になってからできる友達は、もっと気のあった友達になるはずだ!
仕事の友達で良いじゃないか
ときに、「仕事や損得に関係ない友達が作れるのは、学生時代まで」とよく言われます。だから、「学生時代の友達は大事にしようね」という論調で語られます。
確かに、大人になってからできる友達は、仕事と何かしら関係していることが多いですね。そこに異論はありません。
ただ、学生時代の友達が、生涯ずっと良い関係でいられるとしたら、それはかなり稀有だと思います。
学生時代の友達グループが、全員それぞれの道で、自分らしい人生を切り開いているってありますかね?
それはないなぁー。みんな良くも悪くも落ち着いちゃってるよ
大抵の人は、自分の置かれた境遇をグチりながらも受け入れています。スマホゲームのガチャに、一喜一憂する人生を送っています。
だから人間として劣っているなんてことはありませんが、哲学レベルで相反している友達と、ずっと良い関係でいられるでしょうか?
ボクは、「仕事上の友達で大いに結構」と思っています。
ボクにとって、「仕事」と「遊び」は、ほぼイコール。楽しいことを仕事にしているわけですからね。ハンドメイド作家のあなたも同じでしょう?
だから、「仕事の友達」と「遊び友達」に境目なんてないと思っています。
むしろ、ただ飲んで、グチと昔話をエンドレスリピートする友達よりも、一緒にいてずっと楽しい友達じゃないでしょうか?
ぜひ、「過去」を共有する友達よりも、「今と未来」を共有する友達を作ってください。
環境が変われば、一緒にいる人も変わる。それで良いんじゃない?
うん!全然悪い話じゃないよね!
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