
ハンドメイド作品に限らず、どんな業界であっても、「市場で目立つこと」が必須。
著述家のセス・ゴーディンは、このことを、「Purple Cow(紫の牛)」と表現しました。紫色の牛くらい異質な存在が、人の目を引くのだと。キャッチーで秀逸な例えです。
しかし、そんなにカンタンな話ではありません。奇をてらって、とにかく斬新で新しい作品が注目を浴びるかといえば、そうではないんです。
ちょっと意外じゃないですか?
「奇抜すぎて売れない」ならわかります(←これも事実そうなんですが)。
「奇抜すぎると、かえって目立たない」は、直感に反します。
またまた…。ウソだろ?
いや、科学的にそうなのよ
1つ象徴的な話をしましょう。
- ドラゴンボールの「孫悟空」よりも、
- バキの親父「範馬勇次郎」の方が、
印象として「強い」という不思議な感覚です。
惑星すら木っ端微塵にできる悟空より強いキャラは、まずいない。にも関わらず、人間レベルに留まる暴力しか持たない範馬勇次郎の方が、際立って見える。
それはなぜかという話です。
女性読者が9割のサイトで、『バキ』を例にするのもどうかと思うがね
売れる作品・注目される作品に仕上げるためには、「外し」の匙加減が重要。ギリギリのラインを知る人が、もっとも成功する作家です。
このラインを知らずして、クリエーターは語れません。
なかなかに画期的な記事で、読めば「新しい扉」が開くと思いますよ。
「全く新しい」は脳が受け付けない

順を追って話していきましょう。
まず、「全く新しい、斬新で、見たこともない」作品は、絶対に売れないという話です。
予測機械
人間の脳は、しばしば「予測機械」と呼ばれます。
状況を予測し、あらかじめ対策を練り、無事に乗り切れるように行動する。こうやって、生存確率を上げてきたわけです。
もし、全く予測できなければ、対策できませんから、出たとこ勝負になります。
- 洪水でも、
- 捕食者でも、
- 幽霊でも、
なされるがまま状況に翻弄されて、防戦一方になるでしょう。それは、生命を危険に晒す状況でもあるのです。
相手がライオンであっても、力や速さが予測可能であれば対処できます。檻の中なら、安心して見ていられます。暗闇や幽霊が怖いのは、その予測が立たないからですね。
だから、脳は「予測できないこと・もの」について、「怖い」というネガティブな感情をアサインしているわけです。
なかなか合理的でしょう?
新しい=怖い
つまり、全く新しい未知なものは、「怖い」わけです。
- プラスチック樹脂でできた家
- 牛の唾液を繊維化して作られた服
- 宇宙物質から抽出された美容液
- 空飛ぶクルマ
を買うでしょうか?
それがどんなに良い未来をもたらすと思われても、恐れが先行してしまうのが人間の性。人間(だけじゃないでしょうけど)は、本来保守的な動物なのです。
ワサビ味のソフトクリームに躊躇する気持ちよな
あれ、食べてみると意外とイケるよ
かつての毛沢東は、ソ連で誕生したばかりの共産主義を、中国全土に広めるミッションを負っていました。この時点では、海の物とも山の物ともつかない新しい思想です。
しかし、中華民族ほど伝統を重んじる人々はそうそういません。
そこで、自分たち中国共産党を、民衆が慣れ親しんだ『水滸伝』の梁山泊に準えました。梁山泊と同じく、正義によって政府を打倒する革命勢力であるとブランディングしたんですね。
また、自身を「中国版レーニン」ではなく、「現代の始皇帝」あるいは「現代の諸葛亮」というイメージを植え付けました。
慣れ親しんだアイテムが主でなければならない
新しいものへの拒否反応は、人間普遍の心理です。
既に認知されていて、ターゲットが慣れ親しんでいるアイテムをベースにしましょう。
iPhoneがヒットしたのは、「携帯電話」をベースにしたことが大きい。既に携帯電話は1人1台の時代でしたから、十分に慣れ親しんでいました。
本質的には「ポケットに入るコンピュータ」ですが、この売り方ではまず売れなかったでしょう。そういう商品もiPhone以前にありましたが、全く流行りませんでした。
残念ながら、コンピュータをポケットに入れる習慣はなかったのです。
1つ重要な示唆として、「全く新しい、斬新で、革新的な商品」は、市場に受け入れられないのです。この事実は、ゆめゆめ忘れないように。
文明は飛躍的に進歩しているようで、漸進的にしか進まないものなのよ
ペースは早くとも、一歩ずつしか進まない
一足飛びには進まないんだね
フォーマットの逸脱はNG

「外し」を語るとき、ボクがとっても気に入っているのが、「学ラン」の例です。元(?)女子の皆様は、「セーラー服」を想像しても良いでしょう。
男子中高生にとって、「学ラン」を着崩すのはファッションです。
- 第一ボタンを外してみる
- ワイシャツの代わりに「柄シャツ」を着てみる
なるほど、かっこいいかもしれません。
- 「短ラン」を着てみる
- 「ボンタン」を履いてみる
こういう変形服も、好きな人はいるかもしれませんね(趣味は人それぞれなので、ここでは好みは気にしないでください)。
- じゃあ、いっそのこと「私服」で登校したら?
- 「ブレザー」で登校したら?
いや、それは違う。
あくまで、「学ラン」というフォーマットに従っているからカッコいいのであって、「私服」や「ブレザー」で来てしまったら、もはや別物になってしまいます。
確かに!これは絶対そうだわ!
帰属集団からの逸脱になってしまう
上記の現象は、感覚的にはよく理解できると思います。
このことを、心理学的に考察してみましょう。
- 「学ラン」でも、
- 「スーツ」でも、
- 「スキーウェア」でも、
規定のフォーマットがあります。
その規定のフォーマットは、その集団に帰属している証です。
人間は社会的動物ですから、どこかの集団に帰属したい欲求を持っています。同時に、その集団内でヒエラルキーを上げたい欲求も持っています。
学ランを着ることで、「男子中学生(あるいは高校生)」という集団に帰属します。ちょっとした「外し」を加えることで、集団内で目立つポジションをゲットできます。
ここでの「外し」とは、規範へのちょっとした反抗なわけです。
「私服」で登校してしまったら、反抗の範疇を超えた、フォーマットの逸脱。男子中高生の集団から外に出て、このヒエラルキーゲームを放棄したことになります。
もはや、「カッコいい」とか「ダサい」とかいった評価の対象外になってしまいます。
フォーマットからの「ズレ」がかっこいいワケよ
セーラー服でも同じよな
外しの許容限界は?

では、どこまでの外しが許容されて、どこまでいったら逸脱になってしまうのか。
その線引きは、どこにあるのでしょうか?
暗黙の閾値
学ランをどこまで気崩すのがカッコいいかを決めているのは、男子中高生自身。
同級生の中で支配的な価値観が、
- 「許容される外し」
- 「許容されない逸脱」
を分けています。
なお、校則は線引きにはなりません。男子中高生内のヒエラルキーを決めているのは、先生ではなく、生徒自身なので。
ここは微妙な匙加減で、
- 第一ボタンだけ外す → カッコいい
- 第二ボタンまで外す → なんか違う
- 全ボタン外す → 柄シャツとかTシャツならOKだけど、普通のワイシャツだとダサい
という何とも絶妙な線引きが存在します。
論理性はなく、ただただ感覚的な線引きです。
かつ、その時代によっても変化します。その時々のマジョリティの価値観が、閾値を決定することになります。
閾値を論理的に導くことはできない。ただ、中の人は感覚的に理解している
内部の価値観が優先
逆に、内部の価値観で「ヨシ」とされていれば、外の評価は関係ありません。
同級生内で「腰パンがイケてる」というコンセンサスが得られているなら、外の大人がどう思うと、腰パンは正義なのです。
ギャル集団内で、「まつ毛はバッサバサなほどカワイイ」というコンセンサスなら、周りが化け物と言おうが、知ったことではありません。
詰まるところ、この匙加減は内部の人しかわかりません。
的確な外しを提供するには、あなた自身がターゲットと同じ集団に属しているか、ターゲットの社会生態をよくよく把握している必要があります。
ターゲットの力関係も
面白い話で、本人のヒエラルキー位置によって、許容される外しの線引きが変わってきます。すなわち、「不釣り合いな外しは許容されない」ということです。
学ランの例を踏襲すると、ピカピカの新入生が第一ボタンを外すのは、ちょっと違うわけです。
「君はまだその段階じゃないよ」という感覚ですね。
「外し=規範への反抗」なので、外しは体制への余裕の表れ。力関係を見誤った不釣り合いな余裕は、「空気が読めない」という評価になります。
ケッタイに聞こえると思うけど、深層心理の話をしているからね
ボクが新入社員の頃、営業でスーツを着ていたのですが、やはり新卒君には新卒君のドレスコードがありました。
リクルートスーツである必要はありませんが、許されるのは、グレーやネイビー辺りの落ち着いた色。ネクタイも、もちろん普通のネクタイです。
- ジャケパンとか
- 明るいブルーにストライプが入ったスーツとか
- ニットタイ(ニットのネクタイ)とか
は、「一人前に仕事ができるようになってからね」という暗黙の了解なのです。
「短いスカート丈」も「ルーズソックス」も、不釣り合いな人はいたはずです。
ターゲットのヒエラルキー位置を、よくよく把握しておく必要があるということです。
- 初級者向け:小外し。ベーシック寄り
- 中級者向け:中外し。ほどほどの外し
- 上級者向け:大外し。大胆に外すが、帰属集団からは逸脱しない
リクルートスーツに、気の利いた外しなど施してはいけないわけです。
短ランやボンタンは、特殊な層を狙った商品。多くの生徒は、購入対象に入らないでしょう。ただ、ターゲットが絞られているので、狭く深く刺さる商品にはなっています。
あまりに逸脱が過ぎれば、誰も許容されないレベルになってしまうでしょう。
外しすぎてOBしてる商品って、まぁまぁあるな…
大胆に逸脱しすぎて、購買候補から外れちゃうんだよね
流行が繰り返されるメカニズム

「外し」とは、ちょっとした差異によって、集団内の少数派ポジションを獲得する試み。
「外し」を理解すると、流行が繰り返されるメカニズムが構造的に理解できます。
次のようなサイクルです。
- 男子生徒が、全員「学ラン」を着ている
- 感度の高い男子の間で、「第一ボタンを開ける=イケてる」という外しが確立
- 外しが流行し、全員が第一ボタンを外す
- 「第一ボタンを開ける」は、もはや外しにならなくなる
- 次なる外しの需要が生まれる
よく、「流行に敏感な人は、それが流行ったときには、もう次に行ってる」と言われますね。こういうことなんですよ。
流行ったら少数派じゃなくなっちゃうもんね
ラブブを流行らせた人にとっては、流行った後のラブブはもう過去の物なんよ
となったとき、次なる外しにノミネートされるのは、
- 第二ボタンまで開ける
- むしろ全部閉める
のどちらかでしょう。
ここで、冒頭に話した「脳は、新しいものを怖がる」の性質を思い出してください。
「第二ボタンまで開ける」は、まだ評価が定まっていません。見誤って評判を落とすリスクがあります。日韓W杯でロナウドがやった「おにぎりカット」みたいに(←覚えてます?)。
一方で、「第一ボタンまで閉める」は、元々の王道スタイルですから、すでに実績があります。こちらの方がリスクが低い。
「俺はむしろ上までキッチリ閉めるぜ」
これが、流行が繰り返されるメカニズムです。
「厚底」も「襟足伸ばす」も、こうやって巡ってきたんだね
コラム:流行は仕組まれている
この話から、ファッション業界のビジネスモデルが見えてきます。
顧客のクローゼットの中身を時代遅れにしなければ、新しい服が売れません。だから、新しい「外し」を提供して、流行のサイクルを回転させたいわけです。
こういう手法は、ビジネス用語で「計画的陳腐化」と呼ばれます。
「外し」を提供するのはカンタン。現行の王道に対して、ちょっとした差異を提供すれば良い。
過去のものを引っ張ってきても良いし、どこかの国や民族のエッセンスを注入しても良い。ある程度美観に優れていれば、どんな外しでも構いません。
流行らせるのもカンタン。ある学校で「第二ボタンまで開ける」を流行らせたかったら、イケてる男子5人を買収したら良い。モデル業とは、そういう役割です。
モデルも雑誌もファッション評論家も、計画的陳腐化を支える歯車。というより、一緒に飯のタネをばら撒く「共犯者」なのです。
一昔前はダサい
個人的に、「これは着ちゃダメ」とか言うファッション評論家には反吐が出るのですが、一つ真実を語っている点があります。
「一昔前に流行ったヤツはダサい」です。
こればかりは、如何ともしがたい
流行サイクルは、「旧王道」から「新王道」への世代交代なわけですが、押し出された一昔前の王道は、「ダサい」になってしまうんですね。
押し出されずに、「伝統スタイル」として残り続けているならいいんですよ。でも「一昔前」と言われちゃった時点で、もう押し出されてるんです。
- 今の王道でもない
- 差異もない
- ただ古い
- ダサい
という。
この際、何を着ても良い。
トレンドも、まぁ気にしなくて良い。
けど、一昔前に流行ったヤツだけはやめとけ。
ということになってしまうのです。
再流行へスタンバイ
一度キックアウトされた古い王道は、しばらく冬の時代を過ごすことになります。
- 直近で多数派だった
- その後に否定された
- その否定の感情がまだ共有されている
この状態が「ダサい」の正体。
そのスタイルが絶対的にダサいわけではなくて、社会的に「ダサい」というコンセンサスが形成されているからダサいということです。
しかし、そんなダサい過去の記憶(もといコンセンサス)も、時と共に風化します。ダサい記憶を持たない若者が、購買年齢に達することも大きいですね。
負の色眼鏡がない状態で、「純粋な形態」として再評価される時が来きます。
ふた昔前が狙い目?
インターバルを終えて、「ふた昔前」になった過去の流行は、次代の流行を待つ身となります。ただ、全てが復活できるわけではありません。
大事な点は、「現代の王道に対して、外しとして機能するか?」ですね。
「外し」とは、ある集団への帰属を保ちながら、集団の平均値から最大限距離を離す行為。ギリギリの距離感が肝要で、逸脱はNGです。
現行スタイルからあまりに離れていると、「外し」の範疇に収まりづらくなります。
江戸時代に流行った馬の鞍があったとて、現代には適用させづらい
本来的には、「みつ昔」でも「よつ昔」でも良いのですが、古すぎる流行は、現代への再解釈が困難なケースが想定されます。
そういう意味で、ふた昔前のスタイルは狙い目です。
小さな外しが返って目立つ?

ヒエラルキーの文脈から離れて、単に視覚的に「目立つ or 目立たない」の話をしましょう。
微細な程度の外しの方が、かえって目立つという話です。
MCI理論
「Minimally Counterintuitive Theory」という宗教認知科学の概念があります。
英語なのは、日本語情報がほぼないからです。訳名をつけるとしたら、「最小反直観性理論」といったところでしょうか。
趣旨は、「直感に反する(counterintuitive)」要素を1〜2個だけ含む概念は、完全に論理的な話や、あまりに突拍子のない話よりも印象に残りやすいというものです。
範馬勇次郎はなぜ印象に残る?
書き出し冒頭の伏線を回収しましょう。
男子というものは、例外なく「歴代最強の漫画キャラは誰か?」という議論を、人生のどこかで交わしています。
絶対値で言えば、ドラゴンボールの「孫悟空」がやっぱり強いんですよね。
- 本気出したら地球すら破壊できる
- 空飛べる
- 瞬間移動できる
- 何回か生き返ってる
でも、バキの「範馬勇次郎」がチラつくんです。
バキは、一応リアルなバトル漫画なので、異能力とかビームはありません。筋力と技だけで闘う男たちの話。作中最強キャラが、主人公バキの父親である範馬勇次郎です。
アメリカで新しい大統領が就任すると、ホワイトハウスの正面から堂々と侵入し、武装した兵士を素手で全員倒して、大統領執務室に挨拶に行きます。
いつでも命を奪えると理解させた上で、新大統領に、「私は、範馬勇次郎氏の生活を一切侵害しません!」と宣誓させる恒例行事です。
孫悟空は強いのですが、直感に違反する要素が多すぎ&大きすぎるんです。「人間」のカテゴリーから外れて、「異能力キャラ」のカテゴリーに入ってしまうんですね。
ルフィも五条先生も同じよ
いくら人間離れした強さを発揮したところで、同じ人間じゃないからね
一方の範馬勇次郎は、「腕力があまりにも強い」という絶妙な違反が1つだけ。「人間」のカテゴリーに留まりながら、あまりにも人間離れしているわけで。
ここが強く印象に残るのです。
都市伝説が怖い理由
ボクは小学生の頃、本気で「口裂け女」にビビってました。
口裂け女で、唯一違反しているのは、「100mを5秒で走る」という点だけ。口が裂けているとか、人を襲うとかは、人間としてあり得る範疇です。
違反のレベルが限定的だからこそ、「妖怪」や「お化け」ではなく、あくまで「人間」のカテゴリーに留まっているわけです。
「妖怪」「お化け」まで行ってしまったら、そこはもう人外魔境ですから、何でもありの世界です。どんな恐ろしい女でも埋没してしまいます。
都市伝説が強く印象に残るのは、それが怪談やおとぎ話ではなく、現実世界の異常値として描かれているから。
恐ろしいが突拍子もないファンタジーよりも、ほどほどの都市伝説の方が印象に残るのよ
印象の強さ=違和感=平均からの乖離
つまり、こういうことです。
印象に残る度合いは、
- 「絶対的に変わっているか」ではなく
- 「当該カテゴリーの平均からどれだけ乖離しているか」で決まる
すなわち、違和感の大きさによって決まるということ。
「ド派手なレインボーのTシャツ」よりも、「グリーンのスーツ」の方が目立ちます。後者の方が異常値で、違和感が大きいからです。
加えて、あまりに乖離が大きいと、当該カテゴリーからはみ出てしまい、かえって違和感が残りません。
意外かつ皮肉なことに、斬新で革新的な商品は、比較対象がないために市場で目立っていないのです。
- ワラジ + vibramソール
- そろばん + 原色
- ラーメン丼 + 縁の模様が有刺鉄線
という限定的な外しの方が、かえって目立つんですね。
最近はローファー型のスニーカーが流行っていますが、発想は同じ。ローファーなのに、スニーカーのソールだから際立っているのです。
常識の局所破壊
耳目を集める商品を開発するなら、慣れ親しんだアイテムを選び、局所的に常識を破壊するのが最適です。
ただし、元のアイテムの原型を留めていなければなりません。「花瓶」なら、パッと見て、「これは誰がどう見ても花瓶だ」と即理解できなければなりません。
壊すのは、原則1箇所。せいぜいが2箇所まで。
色を変えたなら、形は変えないことです。逆も然り。形を変えたなら、色は変えないことです。
ここ、めっちゃ大事な話だね!
外しの定番3パターン

1箇所であれば、大胆な外しが許容されます。その1箇所に関しては、「紫の牛」のように、圧倒的な違いが欲しい。
軸足は王道ど真ん中に置きつつ、もう一方の足を目一杯離すイメージでしょうか。
単に、「色・大きさ・素材」を変えるでも、美観に優れていればOKです。
その他、特定の意味を持たせるとしたら、代表的な外しパターンが3つあります。
- カジュアル↔︎フォーマルの行き来
- 時間的外し
- アイデンティティ・クロッシング
それぞれ簡単に解説しましょう。
パターン1. カジュアル↔︎フォーマルの行き来
もっともよく見られる外しのパターン。
- フォーマルに、軽度のカジュアルの要素を入れ込む。
- カジュアルに、フォーマルテイストを注入する。
人間は、自分が持っていないものに憧れを抱くもの。
フォーマルな人ほど、カジュアルなスタイルに憧れを持っているものです。スーツにスニーカーを履きたがるのは、大抵こういう人たちです。
「ジャージ素材のジャケット」は、原則フォーマルな空間に、外しとしてカジュアルを持ち込んでいますね。
逆に、カジュアルな人ほど、かっちりしたフォーマルに憧れを持っています。カジュアルな装いに、革靴とかネクタイを合わせたがるんですね。
格上と格下のコードを交差させるイメージ!
パターン2. 時間的外し
過去に流行っていたスタイルを、現代風に再解釈する試みです。
- 昭和レトロ
- バブルファッション
- 平成ギャル
などは、この外しパターン。他にも色々ありそうですね。
前述の通り、ふた昔前が狙い目。
個人的には、人生経験豊かな(←困った挙句の表現)作家さんに期待しています。かつて青春時代に熱狂したスタイルを現代風に再現したら?
その時代の勘所は、今の若い人にはわかりませんよね。その時代を生きた人にしかわかりません。う〜ん。ワクワクしますね!
ボクは高校生の頃に、裏原ストリートファッションに傾倒していました。その頃のスタイルが再現されたら、やっぱり心奪われますよ。
パターン3. アイデンティティ・クロッシング
アイデンティティ・クロッシングとは、ターゲットが持っているアイデンティティを交差させる試みです。
ボクが勝手に作った造語だけど、中身は実に真っ当よ
1人の人間には、さまざまなアイデンティティがあります。
- 燕三条出身の自分
- バスケ部だった自分
- デザイナーの自分
- イタリアに留学していた自分
- 釣りが趣味な自分
- ミニマリストな自分
- 漢検1級の自分
- 子育てママの自分
などなど。
アイデンティティの詳細は、↓の記事をご覧ください。
人は、自分が持っているアイデンティティを、周囲に表明したいと思っています。しかし、その機会は十分には与えられていません。
「私は漢検1級です」と書いたプラカードを持って歩くわけにもいかないでしょう。
そこで、例えばこういう作品を作るわけです。
寿司屋に、魚偏の漢字がびっしり書いてある湯呑みありますよね。あれの漢検一級の漢字版です。お茶を飲む度に、自分が漢検1級ホルダーであることを表明できますね。
飲む度に気持ち良くなれそうw
日本史ファン向けに「方広寺鐘銘」の湯呑みなんてどうでしょう?(あったら欲しいわ)
湯呑みも悪くないですが、2つのアイデンティティを選んで交差させると、アイデンティティ・クロッシングの効果を高めることができます。
1つ目のアイデンティティ
ベースとなる1つ目のアイデンティティには、ターゲットがヒエラルキーを意識する集団を選びます。言い換えると「見栄を張りたくなる集団」です。
- おニューの服を下ろして着て行きたくなる集団
- 化粧に気合いが入る集団
- そこで使うアイテムは奮発してしまう集団
そこが優先的に予算を割り当てる場所だからです。
ボクは、このような集団を「社交界」と呼んでいます。
ウチの奥さんは、子供関連の集まりはスッピンで行きます。社交界になっておらず、ここは高いお金を払う集団ではありません。
ボクはサラリーマンの頃、スーツやカバンやネクタイは、それなりにちゃんとしたものを買っていました。ここは社交界なので、優先度の高い買い物です。
大学生にとっては、大学は社交界でしょう。
原宿女子にとっては、知り合いでなかったとしても、原宿ですれ違う女の子達は、社交会の仲間でありライバルです。
社交界で、衆目に晒されるアイテムを選びましょう。身につけるアイテムは強いですね。否応なく見られますから。
なお、ベースとなる1つ目のアイデンティティでは外しません。
ここでは外さないんだ!?
この集団では、極めて正統派のコードを採用します。
例えば、サラリーマンのネクタイにするとしたら、まずはベーシックなネクタイの形を想定します。外しを加えるのは、2つ目のアイデンティティです。
2つ目のアイデンティティ
2つ目のアイデンティティは、なんでも構いません。
- 趣味でも
- 故郷でも
- 資格でも
ターゲットが「いかにも自分らしい」と強く思えるならそれでOKです。
例えば、「元吹奏楽部」というアイデンティティを選ぶとしましょうか。
そうですね、「トロンボーン」を吹いていたとしましょう。
その人は今ではサラリーマンをやっていて、トロンボーンとは無縁の生活を送っています。でも、生活の中で、トロンボーンと自分のつながりを世界に表明したい欲求を持っています。
そこで、社交界で使うアイテムを、トロンボーンのスパイスで外すわけです。
例えば、ネクタイピンがさりげなくトロンボーンのデザインになっている。全力でトロンボーンに寄せるのではなく、伝統的なネクタイピンの形に、外し要素としてトロンボーンが効いている塩梅です。
安直なので、もっと考えようはありそうですが、イメージはこういう感じです。
本来でれば、元吹奏楽部にしかわからない「そう、それそれ!」みたいなディテールで外すのがいいんだけどね
言いたいイメージは伝わったわ!
事例:ポーターのタンカーシリーズ

ポーターの代表作「タンカーシリーズ」は、良い塩梅の外しだなと感心します。
ベースとしては、シンプルで使いやすいバッグです。ブラックやオリーブと落ち着いた色で、街遊びにも、職場にも使えそうなもの。
ただ、表面に少々の光沢があって、裏地がビビッドなオレンジ。
実はこれ、アメリカ空軍のフライトジャケット「MA-1」がモチーフなんです。『相棒』で寺脇さんが着ていたヤツですね。
つまり、正統コードから「ミリタリー」で外したのが、タンカーシリーズなのです。
王道の大切さを忘れないこと

「外し=王道からの差異」ですから、まずは王道を知らなければ、外しようがありません。
芸事の道には、「守破離」という3つの成長段階があります。
- 守:基本を忠実に守る
- 破:基本からの逸脱を模索する
- 離:優れた逸脱を見極め、体系化し、新しい流派へ昇華させる
まずは、王道を学ばなければ、華麗な外しはできないのです。
歌舞伎の世界で言われる「型があるから型破り、型がなければ形無し」にも表れていますね。王道をわきまえない外しは、ただのデタラメ。
- 長財布でも、
- ブリーフケースでも、
- 手帳でも、
王道の形がありますね?
予算が許せば、市場で一般に出回っている商品を、自分で買ってみるのが良いと思いますよ。どういう作りなのかをよく観察するために。
メルカリで中古を買っても良いね!
作風に関しても、
- 絵画にしろ、
- レザークラフトにしろ、
- 編み物にしろ、
王道のやり方がありますね?
我流はあまり褒められたものではありません。
その意味でも、専門学校なり修行先なりで、ちゃんと基礎が身についている作家さんの方が強いね
本当にイケてる外しとは?
ここ、何気に超大事な話です。
感覚的に、「イケてる外し」って、どんな具合だと思いますか?
- 王道は、ちゃんとわきまえてるぜ?
- その上で、「ココ」で外しているんだ
と、「わかった上で外している外し」じゃないでしょうか?
外しを通して、
- 「お前、この外しの意味わかるよな?」
- 「もちろん。そこを外すとはクールだね」
という言外の意思疎通をしているわけです。
前提として、共有しているドレスコードがあります。まずは、集団内で共有されている規範を両者で確認しあい、お互いが集団の仲間であることを確認します。
その上で、お互いの集団内のポジション(あるいはヒエラルキー)から、「自分はどこまでの差異が許されるか」を、双方で確認し合っているわけです。
コードの理解者にしか通じない、ハイコンテクストなコミュニケーションを楽しんでいるんですね。
それだわ…。外しって文化なんだ
「外し=集団内のハイコンテクストコミュニケーション」は、かなり本質的な表現だと思うよ
許容されたドレスコードを逸脱してしまうと、
「ん?コイツわかってねぇな。モグリか?」
と疑念を与えてしまいます。エセ関西弁を話す東京人に、関西人が浴びせる冷ややかな視線と似ています。
まずは王道ありき。まずは、「王道で合格点」でなければならなりません。
その上での外し。外し以外の箇所は、王道の正統コードを踏襲しなければなりません。
中心から5度傾ける
カナダのアパレルブランドjjjjound(ジョウンド)のデザイン哲学は、「中心から5度傾ける」です。中心とは、もちろん王道のことですね。
縫製工場で働いた経験のある作家さんから、コムデギャルソンでも「中心から5度傾ける」と言われていたと聞きました。知ったときは、随分と驚きました。
どちらも、ベーシックを信条とするブランドです。
パッと聞くと、「奇をてらわないでやっていこう」というモノ作り哲学に聞こえますが、より真に近いのは、「王道に最大限の敬意を払おう」じゃないかと思っています。
傾ける角度が「5度」か「15度」かは言葉遊びになってしまいますが、その「5度」なり「15度」なりが、あなたが自由に改変できる範囲ということです。
0からの手作りと言えど、「何でもアリ」ではないんだね
王道からの少々の外しが、「あなたのブランド」だ!
まとめ
「外し」は、ドレスコードの範囲内で、どこまで離すかのゲームだからね。離せば良いって話じゃないのよ
「はいはい、外しね」と軽く思っちゃうけど、深い話があるんだね〜
では、この記事のまとめです。
外しのルール
- 全く新しい作品を作ってはいけない
- 慣れ親しんだアイテムの王道形を原則踏襲する
- 1箇所だけ大胆に外す
- 元のアイテムの原型を崩してはいけない
外しの定番パターン
- カジュアル↔︎フォーマルの行き来
格上と格下のコードを交差させる - 時間的外し
過去に流行ったコードを現代風に再解釈する。狙い目はふた昔前 - アイデンティティ・クロッシング
ターゲットが持つアイデンティティを表明できる特徴を加える
何かを「買う」は、人間にとって神聖な行為です。
大事な大事なリソースを支払って、すなわち、自分の人生の何がしか一部を対価として差し出して、買い物をするわけですね。
買う対象には、コストに見合った生物学的利点がなければ、辻褄が合いません。「外し」が買う理由になるなら、そこには生物として重要な意味があるのです。
本記事では、
- 集団に帰属するために、規定のフォーマットを身につける
- 集団内のヒエラルキーを上げるために、「外し」を取り入れる
- 流行ったら栄誉ある少数派でなくなるため、次なる「外し」の需要が生まれる
というロジックを展開しました。
つまり、「外し」とは、もっぱら社会的行為なわけです。外しを通して、集団内の規範やお互いのポジションを確認しあっているのです。
とっても人間らしい、社会的な営みだね
あなたが提供する「外し」は、ターゲットが、原則としてその集団内に帰属することを表明しつつも、自分に許される規範からの差異幅を最大限表明するもの。
奇抜にしすぎてはOBですが、さりとて、教科書通りでは役不足なわけです。
だからこそ、外しはギリギリの距離がカッコいい。「ネタ」とか「面白い」とかではなく、「繊細に設計された差異」なのです。
難しい言い方をしましたが、ピンと来た人は、目から鱗が落ちた気分になっていると思います。
この記事を踏まえれば、もっと「意味のある外し」、つまり「お客さんが買う理由を見出せる外し」が見つかるはずです。

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