
懐かしい作品は、お客さんの心を打つ。
もちろん、「懐かしさ」を必ず作品やブランドにインストールする必要はありませんが、攻め手の1つである事実は疑いようがありません。
その「懐かしさ = ノスタルジー」に関する理論は、↓の記事で書きました。
かいつまんでおさらいすると、
- すでに失われて戻ってこない自分の過去で、
- 自分の人格形成につながっているエピソードを思い出すと、
- 「あぁ、あの頃の自分はこうだったなぁ」と 感じる
過去の自分の「点」と「点」がつながって「線」になり、今の自分につながっている。言ってみれば、この「線」こそがアイデンティティです。
長い時間の中で、多くの「点」は忘れ去られてしまっています。そんな過去の記憶が、何かのきっかけで思い出される。束の間、過去の「点」にタイムスリップする。
このときに感じる感覚が、「懐かしい」です。
「ブラウン管テレビ」や「黒電話」のようなモノ自体が懐かしいのではありません。これらは、記憶を呼び起こす媒体です。
「あの頃の自分」を追体験し、「かつて、自分や自分を取り巻いていた世界は、こういうアルゴリズムで動いていた」と追憶するプロセスこそが、懐かしいのです。
…と、こういうけったいな話でした。
ただ、それだけでは説明できない現象があります。
- 自分が生まれる前の昭和や大正のレトロに懐かしさを感じる
- 1000年前からある神社で懐かしさを感じる
- シャーロック・ホームズで見慣れた19世紀ロンドン
おや。自分が生まれる前の過去の世界でも、「懐かしい」と感じるのは、一体どういうことだろう?
確かに。なんか不思議ねぇ
「懐かしさ」に似ているけど、厳密には少し違う感情なんじゃないかな?
その感情の正体が、本記事で解説する「アネモイア」です。
- 100年前や1000年前といった、古い時代のモチーフを扱う作家さん
- レトロ感のある外国をイメージしている作家さん
は、知っておいて良い内容。
特に、「世界観」作りで使えるエッセンスです。
こんなマニアックな話をする発信者は、世界広しと言えど、他にはいないでしょう。使いづらい話ではありますが、貴重な話です。どう料理するかは、あなた次第!
なぜ若者がレトロを理解できるのか?

昭和のレトロ感は、一定の人気がありますね。
ここで1つ面白い現象があります。
なぜか、若い人にも受け入れられています。若い人にとっては、「目新しい」というのもありますが、同時に「懐かしい」に似た感情があります。
おや?おかしいですね。
平成生まれの若者が、なぜ昭和を懐かしむことができるのか?
ボクだって、昭和63年生まれですから、育ちは平成です。それでも、何だか懐かしい気持ちに浸ることはできるんですね。
ホントそうよね?不思議だなぁ
それはなぜなのか?
アネモイア

「アネモイア(anemoia)」とは、自分が一度も経験したことのない時代や場所に対して抱く、強い郷愁や憧れのこと。
より厳密に言えば、「自分では経験していない過去を、何らかの経路によって”自分と関係する既知の世界”として感じることで生じる郷愁」が適切ですね。
なので、(当たり前に)古ければどんなモチーフやデザインにでも感じるわけではなく、自分との何らかの「つながり」を感知したときに発動する感情です。
わかりますよね。我々だって、明治とか江戸時代の文化に、「目新しさ」とは違う、もっと深い心地良さをを感じるじゃないですか。これだってアネモイアです。
おいおい、まんまやんけ!
何と、こんなあつらえ向きの用語が存在するんだね
「ノスタルジー」は2種類に大別できる
「ノスタルジー = 懐かしい」という感情は、大きく次の2タイプに分けられるでしょう。
| 個人的ノスタルジー(personal nostalgia) | 歴史的/代理的ノスタルジー(historical nostalgia / vicarious nostalgia) | |
|---|---|---|
| きっかけ | 「自分が経験した過去(自伝的記憶)」を思い出したときに感じる感情 | 「自分が経験していない過去」との接続点を発見したときに感じる感情 |
| 知覚するもの | 自己連続性:自分は過去から現在まで、同一人物として続いている | 集団的連続性:自分のが属する内集団が、時間を越えて同じ集団として続いている |
| →アネモイア |
「自分が体験しているか」「体験していないか」の違いです。
前回記事で解説したのが左手。「ノスタルジー」と言いつつ、「個人が体験した過去へのノスタルジー」に限定していました。
今回記事で解説する「アネモイア」は右手ですね。「自分では体験していない過去へのノスタルジー」を扱います。
「アネモイア ∈ ノスタルジー」ということだね
「アネモイア」は、「ノスタルジー」に含まれると
なぜ、生まれる前なのに懐かしい?
ですが、今までのロジックと合いませんね。
おさらいしましょうか。
過去の自分の「点」が「点」がつながって「線」になり、今の自分につながっている。この線が『自分物語』であり、アイデンティティ。
各点に紐づいている忘れられた記憶が呼び起こされて、「懐かしい」と感じる。
つまり、こういうこと。
「点」は、自分の過去だけで閉じていないということです。「オギャー」と生まれた時点がスタートではなく、その更に前があるのです。
実際そうじゃないですか。あなたが日頃とっている行動は、必ずしも生まれてから後天的に学習→獲得したものだけではないですよね。
例えば、
- 年末年始は、どう過ごしたら良い?
- 誰かが死んだら、どう弔ったら良い?
- 超自然的な存在にお願いしたいときに、何に手を合わせたら良い?
などは、自分が生まれる前から連綿と続いてきたやり方があります。
親や周囲のやり方を踏襲しているだけ。そのやり方が正解かはよくわからない。周りがそうしているから、とりあえずそうしている。
もっと言えば、「火の使い方」や「文字」や「衣服」だってそう
総じて言えば、「文化」ってことよね
人間の行動アルゴリズムは、本人の全生涯だけでは説明しきれません。因果の鎖は、生まれるずっと前からつながっているのです。
そんなわけで、両親や祖父母や、同じ文化圏に住む同じルーツの人々の過去の系譜も、あなたのアイデンティティに組み込まれているわけです。
自分が生まれる前からつながっている鎖の存在に気づいた瞬間に生じる、「あ、わたしもこの長い長い文脈の一部なんだ」とメタ認知する感覚。
それが、アネモイアですね。
確かに。葬式とか困るよね
先人達の文脈から切り離されたら、ちょっとした浦島太郎状態よ?
アネモイアの3種類の鎖
自分自身が経験していない過去世界との接続点を見出したときに感じるのが、アネモイアでした。
そんなアネモイアは、大きく3パターンに分類できそうです。
- 「人間」の鎖
:昭和、大正、祖父母の時代 - 「文化」の鎖
:神社、祭り、古い日本文化 - 「想像」の鎖
:映画や小説で見た過去の世界
実務上の分類です。こういう学説があるわけではありません。
ただ、各パターンを理解しておくことで、ブランドの世界観に合わせて、戦略を使い分けやすくなります。
その1. 「人間」の鎖

主に、両親・祖父母が生きた世界です。人間関係が地続きになっている人々の記憶。
「自分は知らないけど、知っている人が知っている世界」ですね。
若者が昭和レトロに味わいを感じるのも、「両親や祖父母が知っている世界」という認識があるからでしょう。
『ALWAYS 三丁目の夕日』が初めてテレビ放映されたとき、ボクの叔父さんは、「オレらが子供のときって、こんな感じだったよなぁ」と涙ぐんだそう。
叔父さん(とボクの母親)は、子供の頃新宿で暮らしていて、当時の街並みや人々の暮らしぶりは、本当にあんな感じだったそうなんです。
叔父さんにとって、1950年代の風景は個人的ノスタルジーですが、ボクにとってはアネモイアです。自分は知らないけど、家族が知っている世界ですね。
集団的記憶
ここで少し、学術的な話も挟んでおきましょう。ほぼ趣味で書きますが、筆者の思いつきではなく、ちゃんとアカデミックな裏付けがある話だとわかってもらえるかと。
社会学者モーリス・アルヴァックスは、個人の枠を超えて、共同体が継承・共有する情報を「集団的記憶(Collective Memory)」と名付けました。
確かに、
- 戦争の記憶
- 食事のお作法
- 皇族を敬い続けること
などは、「集団的記憶」なるものがないと説明できないことはあります。
アネモイア的な話だね!
そうなの。「アネモイア」自体は学術用語じゃないけど、類似する概念はあるのよ
コミュニケーション的記憶
文化学者ヤン・アスマンは、「集団的記憶」の概念から発展させて、2つの派生系を提唱しました。
- コミュニケーション的記憶(communicative memory)
:日常の会話や体験の共有を通じて人々の間で自然に受け継がれる「集合的記憶」の一種 - 文化的記憶(cultural memory)
:文字、イメージ、建築、儀式などのメディアによって受け継がれる、期間の長い「集合的記憶」の一種
「文化的記憶」は、次の章のテーマ。ここでは、「コミュニケーション的記憶」を使って、「人間の鎖」を説明することにしましょう。
コミュニケーション的記憶は、家族や友人などの、何気ないおしゃべりや日常生活の中で共有されてきた記憶。文字や教科書のようなメディアに依らず、「声」や「身体の動き」によって伝えられる類ですね。
提唱者のアスマンによれば、コミュニケーション的記憶の寿命は、概ね3〜4世代。爺さん婆さんの代、せいぜいが曾祖父さん曾祖母さんの代です。
感覚的には、「今生きている人の親世代(+1世代)まで」でしょうかね。
もし爺さん婆さんが生きていれば、曾祖父さん曾祖母さんの代まで。両親も祖父母も亡くなっていたら、自分の親世代までです。
年数に直すと、およそ80〜100年程度になります。
本記事執筆時点だと、100年前は大正末〜昭和初期。その辺りまでは、「人間の鎖」の範囲の記憶です。明治となると教科書の世界になってしまい、「文化の鎖」の守備範囲になります。
確かに「100年」って、なんとなく「最近」な雰囲気あるね
爺さん婆さんが生きていたのかって思うとね。200年前の江戸時代後期〜幕末になると、「昔」って感じでしょ
その2. 「文化」の鎖

人間の鎖を「100年の記憶」と呼ぶなら、文化の鎖は「1000年の記憶」です(実際には、1万年でも続き得るものですが)。
文化の鎖は、人間関係は途切れているけど、文脈はつながっている。
そこにいるのは、「別世界の住人」ではなく、「昔のわたしたち」です。
文化的記憶
先ほど解説した「コミュニケーション的記憶」と対になる「文化的記憶」の話に触れましょう。
文化的記憶は、文字、イメージ、建築、儀式などのメディアを通じて伝承されます。多少変節はあるかもしれませんが、物理的にかなり長い時間を経ても失われません。
- 神社
- 葬式
- 和歌
- 浮世絵
- お祭り
- 伝統工芸
などは、文化的記憶の担い手です。
もちろん、これらはほんの一例。
かなり古くからある「文化」は、大体が文化的記憶の伝達媒体になっています。
なぜ神社がパワースポットなのか?

神社に行くと、なんだか落ち着きますね。
「パワースポット」とも呼ばれますが、ボクはスピ系じゃないので、ここで言われる「パワー」が何なのかよくわかりません。
が、1つ確かに言えることがある
神社は、日本最古の文化。
寺との違いがあやふやになりますが、仏教が伝来したのは1500年前で、神道はいつからあるのかよくわかりません。少なくとも数千年前、ことによっちゃ1万年前まで遡れるかもしれません。
(実際に、神道が1万年間続いているかは不明です。本記事では多少の誇張感に目を瞑りつつ、「1万年」という数字を採用しています)
- 鳥居を潜って
- 聖域に足を踏み入れ
- 手を洗い清め
- 二礼二拍手一礼する
この神道の所作が「1万年間変わっていない」とは言いません。多分かなり変わっているでよう。ですが、「1万年間続く系譜に接続している」とは言えると思います。
同じ経験をすることで、過去1万年を生きた同胞達に接続できる。過去1万年に渡って繰り返されてきた営みの延長に、自分がいるんだと感じられる。
すごい安心感じゃないですか。だって、1万年も続いてきたんですよ。磐石な基礎の上に、いま自分が立っていると実感できます。
そりゃ震えるよね。感動もする。「悠久」ってそういうことなんじゃない?
それが「パワー」の正体!?
集団アイデンティティの単位になる

文化の鎖でつながっている過去の記憶は、同じ記憶を共有している同文化圏の人々の間に、「集団アイデンティティ」を形成します。
難しい言葉を使いましたね。
つまり、こういうことです。
- わたしたちは、「日本人」だ
- わたしたちは、「下町の江戸っ子」だ
- わたしたちは、「この地域でこの祭を守ってきた」
- わたしたちは、「この職人文化を受け継いでいる」
といった、「わたしたちは、〇〇だ」という自己イメージがありますね。
それが、集団アイデンティティです。
一人称は、「わたし」ではなく、「わたしたち」になります。自分1人では、「日本人」とか「江戸っ子」という概念自体が生まれませんからね。
何もなしに、集団アイデンティティは生まれません。何かしら共通項となる鎖によって結び付けられます。
古くからの文化は、鎖としてとっても機能しやすい。
何せ、ポッと出の鎖ではなく、先祖代々、何百年、何千年と、同じ文化圏の人々を束ねてきた硬く太い鎖ですからね。身を預けたときの安定感が違います。
わかるんだけど、これクリエーターの話に関係する…?
関係ある。大いなる自己イメージを守るためなら、どんなコストでも払うのが人間だからね
集団アイデンティティの強さを物語る話
集団アイデンティティが、いかに人間にとって大事なものか。どれだけコストを払って、守りたいものなのか。それを物語る話があります。
広島か岡山かに旅行に行ったとき、1945年の終戦当時7歳だった少年が、7年後に書いた作文を読みました。
家や学校がメチャメチャに破壊され、命からがら逃げ延びた少年。きっと、知り合いの中には、亡くなった方も多かったろうと思います。
7歳の少年でも、「戦争は絶対にやっちゃいけない」と感じたそうです。そりゃあそうでしょう。
しかし、その7年後。おそらくは14歳になった少年は、「李承晩をやっつけるためなら戦争に行っても良いと思った」と書きました。
戦後の軍解体のどさくさで、日本が防衛行動を取れないのを良いことに、当時の韓国大統領だった李承晩は、勝手に国境線を引き直しました。
いわゆる「李承晩ライン」として、日本史の教科書にも載っています。ここで、韓国領土と主張されたのが、竹島ですね。
おそらく、この少年は竹島とは無関係でしょう。日本海にある遠い小島ですから、まさか竹島に親戚はいないでしょうし、生活とは無縁のはずです。
それでも、「日本人」という集団アイデンティティを持った人からしたら、身体の一部を奪われたような痛み。取り返すためなら、命すら賭けられる。
これが、集団アイデンティティの強さ。歴史上、こういう話は枚挙にいとまがありません。
「文化の鎖」を過小評価してはいけない
結局、文化の鎖、文化的記憶の対象になっている、「神社」とか「お祭り」とか「原風景」といった類は、同じ文化圏の人々をつなげているわけですよ。
目に見えないだけで、本当に「鎖」なのです。あるいは、「楔(くさび)」と言っても良いかもしれません。
その鎖がなくなってしまえば、人々が結束する拠り所がなくなってしまう。社会的動物である人間にとって、それは大変恐ろしいことです。
共有している小学校の記憶がなくなったら、もう「小学校時代の友達」は成立しないでしょ?
そりゃそうだ…
「結婚指輪」とか「形見」のようなもの。それがなくなることで、家族の絆があやふやになってしまう気がする。だから捨てられない。
失われゆく伝統文化に「危機感」を覚えるのは、仲間との団結が失われることへの恐怖心と見えます。もし鎖になっていない文化なら、失われても痛くないですから。
だからこそ、伝統的・文化的アイコンは、それ自体に需要がある。
- 「この世界から消えてほしくない」
- 「わたしたちが守らなきゃいけない」
- 「手の届く範囲に留めておきたい」
と、こういう動機があるわけです。
深いところで。
古いほど良い、わけではない
では、古い文化や、古い世界観ほど良いのでしょうか?
古ければ古いほど良い、というわけでもないです。
というか、1000年前も1万年前も、「すごい昔」くらいの感覚で、大差ないでしょう。やっぱり、「100年」というのは、1つの明確な区切りになっているように思います。
確かに。人の寿命を超えたくらいで、数字の意味がだいぶ薄まるかも
歴史好きでもないと、気にならないよね
本質的なポイントは、その文化が、「同じ文化圏の人々を結びつける”鎖”として、どれほど強固な存在か」ですね。
例えば、「しめ縄」や「方言」なんかは、今でも存在しますし、日本人として、あるい地方人としてのつながりをもたらしています。
「それを共有しているから、わたしたちは仲間だよね」とイメージしやすい。
現在では縁遠いものでも、結束をもたらしているなら構いません。「日本刀」や「大和(日本の旧国名)」は、過去のものではありますが、今でも日本人のアイデンティティです。
そういう意味では、「古いこと」は本質ではありませんが、500年、1000年と残っている文化は、結果として強固な鎖であることは多いかもしれませんね。
その3. 「想像」の鎖

「人間の鎖」と「文化の鎖」は、自分につながる確かな系譜がありました。
「想像の鎖」は、趣が異なっています。血脈や文化のような系譜は飛び越えます。
物語の世界にもアネモイアがある
例えば、「19世紀のロンドン」をイメージしてみましょう。
イギリスに親族がいるわけでもなし、留学経験があるわけでもない平均的日本人にとって、「19世紀のロンドン」につながりはありません。
しかし、『シャーロック・ホームズ』に子供の頃から触れてきた人にとっては、
- 馬車
- 石畳
- ガス灯
- 霧
- 暗い路地
- 古いパブ
は、知っている世界。
実際には19世紀ロンドンを生きていないにもかかわらず、「懐かしさ」に似た感覚を覚えます。これも、一種のアネモイアと言えるでしょう。
縁がなくても「知っている世界」
つまり、その世界を見たときに、
「あっ。全く知らない未知の世界だ」ではなく、
「あ…。これ、知っている世界だ」になる。
自分が行ったことはなく、先祖代々縁がなかったとしても、想像の中ではリンクが貼られている。それが、想像の鎖。
見聞きしただけの世界でも、脳は予測モデルに組み込みます。「この世界では、こういう風に振る舞えば良いんだな」と学習しているんですね。
だからこそ、過去に物語や映画で見た空想の世界であっても、「あぁ。いつぞやの、あの世界じゃないか」と感じる。
全くの未知ではなく、どこか知っている世界であることに安心を覚える。
アネモイアだねぇ
ドラゴンクエストのゲームの中の、牧歌的な村や、中世ヨーロッパ風のお城や教会は、不思議なことに、既知の世界なんですね。
子供の頃に学習した世界です。

日本人感覚としては、中世ヨーロッパ風の世界は、どことなく懐かしい感じがする。一方で、南米やインドやアフリカのそれに、あまり懐かしさは覚えません。
童話やゲームやファンタジー映画などで、中世ヨーロッパ風の世界観が大量に輸入されているからでしょう。中世ヨーロッパは、割と知っている世界なのです。
もちろん、人によります。インド時代劇を見て育った人は、古いインドの世界に懐かしさを覚えるでしょうし。
アネモイアはなぜ心地よい?

アネモイアは、切なさや喪失感を伴うことはありますが、総じて心地よく、積極的に味わいたくなる感情です。どちらかというと心地良い(ポジティブな)感情ですね。
アネモイアを感じる対象は、何らかの形で生物学的なリターンをもたらしている。リターンがあるからこそ、脳はポジティブな感情をアサインしているはずです。
いつも通り、けったいな話かw
そうなんだけどさ、「原理」を押さえるからこそ、後の章の「応用」につながるのよ
総じて言えば、「未経験の過去が理解可能・親近可能になる」という報酬です。
あえて2種類に分割するなら、
- 世界が予測可能になる(認知的報酬)
- 自分がどこにいるか分かる(実在的報酬)
でしょうかね。
世界が予測可能になる(認知的報酬)
未知の世界と自分を接続することで、知らない何かを知る手掛かりが生まれます。
まずは、この観点からアネモイアに切り込みましょう。
未知の世界を理解するとっかかり
江戸時代を生きたことがない我々にとって、江戸の街は本来未知の世界です。
- 知らない服
- 知らない髪型
- 知らない家
- 知らない制度
- 知らない社会
ところが、
- 正月になると家族が集まって、挨拶して、ごちそうを食べる
- お盆になると、墓参りして先祖に手を合わせる
と分かった瞬間に、
「あ、今のわたしたちと同じだ」と気づきます。
江戸は、完全に知らない世界ではなくなりました。自分が慣れ親しんだアルゴリズムが駆動している「ちょっと知っている世界」に変わります。
脳は、全く知らない未知の状態を、恐怖するようにできています。予測が立てられないからです。暗闇やオバケが怖いのも、本質的には何が起こるか予測できないから。
そこいくと、「未知の過去の世界」に「既知の点」を見出す様は、さながら「オバケをよく見たら、頭からに糸がつながっていた」と気づくようなものです。
安心するね!
その「安心」は、もちろん報酬よ
「どう振る舞えば良いか」がわかる
「文化」とは、過去の人々が残してきた行動パターン。ある意味で、先人が残してくれたキャッシュ済みの行動様式です。
お葬式は典型的ですね。
親しい人が亡くなったとき、どう振る舞えば良いか。どう弔えば良いか。ゼロから考えると、かなり難しい問題です。
でも文化には、
- こういう服を着る
- こう挨拶する
- こう弔う
- こういう順番で儀式をする
- この場面では騒がない
という行動アルゴリズムが既にあります。
年末年始、結婚、出産、成人、神社の参詣なども同じですね。
- 自分で考えなきゃいけない認知&意思決定コストを節約できる
- 昔から続いているということは、大きな問題も起きない
- 同じ集団内の人々を同じ行動をとることで、和を乱さない
長く続いている悪習もないではありません。非合理な儀礼もたくさんあるでしょう。
でも、少なくとも、その社会では認められている行動です。社会的な軋轢を生む可能性は低く、悪目立ちしない安全な行動です。
トータルで収支考えると、先人の行いを踏襲するのがリーズナブルですね。
文化や集団に接続していなかったら、子供の名前もロクにつけられないでしょ?
確かに。「運動会で何する?」とか「学生服は何着る?」とか、いちいちゼロから考えてたら大変だもんね
自分がどこにいるか分かる(実在的報酬)
自分が、「360°景色が変わらない砂漠」に立っていると想像してみましょう。
どうやって、自分の立ち位置を知れるでしょうか?
地図上であれば、「緯度」と「経度」の2点が分かれば、座標を特定できますね。座標がわかれば、今どの辺りにいて、どの方角にどのくらい歩けば良いかわかります。
安心するな
似たような安心感が、アネモイアにもある
「わたしは一人ではない」という帰属意識
社会的動物である人間は、1人では生きていけません。
誰かとつながりを持ち、集団に帰属しているということ自体が報酬になります。
自分が生まれる前の系譜を知ることで、
- 過去の無数の人々
↓ - 両親や祖父母
↓ - 現在の自分
というつながりを認知できます。
単に近くに住んでいるだけの関係ではありません。昔から同じ共同体で暮らしてきた人々の末裔であり、先祖の代から結ばれていた絆を確認できます。
「わたしは孤立した個体ではなく、ずっと続いてきた何かの一員だ」
とメタ認知できる。大きな安心材料です。
昨日今日じゃなく、長い年月をかけて維持されてきた強固な間柄だって確認できるわけだ
「自分がどこから来たのか」が分かる
ノスタルジーは、「過去」「現在」「未来」の自分が同一人物であるという感覚をもたらしています。
中身はちょいちょい変わっていても、人生は1本の線でつながっています。線がつながっていれば、自分自身の行動を予測しやすくなりますね。
- 家族とキャリアのどちらをとるか?
- お金と時間のどちらをとるか?
- 休みの日は、出かけるか、家にいるか?
過去の行動パターンを参照することで、迷わずに行動を選択できるようになります。そうする理由も明白です。誰より信頼する過去の自分がそう選択したわけですから。
さらに拡張すると、
- なぜこの行事をするのか?
- なぜこの季節にこれを食べるのか?
- なぜここで手を合わせるのか?
といった、自分の過去では説明しづらい行動に対して、
「自分の前にも、同じことをしてきた人間がたくさんいるから」
という時間的な理由が与えられます。
自分1人だけの突飛な行動ではなくなり、歴史的背景から正当化されるわけです。
人間って、複雑なんだねぇ
「自分より長命なものに属している」という安心
昨日今日始まったブームは、いつ消えてもおかしくありません。
一方で、自分が生まれる何世代も前から存在している文化・伝統は、自分が生きている間ばかりか、きっとこの先も何百年と生き続けるだろうと予想できます。
長期間存続したものは、カンタンには消えません。
投資対効果(お金だけじゃなく、時間や労力も含む)でもそう。ブームに乗っかった投資は、泡と消える可能性があります。一方で、長命な営みへの投資は、きっとムダになりません。
寄りかかるなら、細枝よりも、大樹の幹が良い。
500年、1000年続いた文化の末端に、自分が接続している。これだけ長く持ち堪えたものの上に、いま自分は立っている。
この安心感も、間違いなく報酬になっています。
エキゾチックとアネモイアの違い
「アネモイア」の反対にあるのが、「エキゾチック」です。
エキゾチックは、単語の意味は「異国情緒的」ですが、本質的には「これは知らない世界だ…」という感覚です。異国だろうが、異世界だろうが、違う惑星だろうが、本質的には同じこと。
- 「知っている世界だ」→ アネモイア
- 「知らない世界だ」→ エキゾチック
という線引きですね。
ややこしいのですが、脳にとっては、どちらも報酬になります。
「アネモイア」は、そこが実は既知の世界と気づき、予測可能になったことへの報酬。落ち着いた、ホッとする感覚でしょうか。安心感です。
一方で、「エキゾチック」は、新しい世界を学習し、予測可能な範囲が広がることが報酬です。スリリングやワクワク感ですね。
同じ対象でも、見る人によって価値が変わる
なので、同じ「19世紀のロンドン」を見ても、
- 「あぁ、この世界ね」→ アネモイア
- 「へぇ、こんな世界なんだ」→ エキゾチック
で、正味の感情は異なっています。
どちらも報酬になっていますが、どちらがより報酬として強いのか?
杓子定規に勝敗はつけられませんが、アネモイアは替えが効かない一方で、エキゾチックは目新しければ何でも通用します。
そういう意味では、アネモイアの方が希少価値は高いかもしれません。
伊勢神宮とサン・ピエトロ大聖堂
もう少し、ピンと来やすい例を出しましょう。
外国人が、伊勢神宮に足を踏み入れて感じるのは、もちろん「エキゾチック」ですね。「物見遊山 = エンタメ」です。なかなか良い観光地ではあるでしょう。

isejingu.or.jpより引用
一方で、日本人が伊勢神宮に感じるのは、「アネモイア」であり、「集団アイデンティティ」です。境内で感じるHolyな感覚は、1万年続く同胞たちの鎖に接続した感覚。
外国人にとって、伊勢神宮は面白い観光地の1つですが、日本人にとっては代えが効かない場所です。
なるほど。「大事さ」って考えると、かなり違うね
逆に、普通の日本人が、サン・ピエトロ大聖堂で感じるのは「エキゾチック」です。聖堂の建築や壁画を見て、「はぁ〜。スゲェなぁ」ですよ。

一方で、クリスチャンにとっては「集団アイデンティティ」を強く感じる「アネモイア」です。過去2000年続いた共同体の営みの最末端に接続することに、心が震えるわけですね。
「エキゾチック」は、愉快で楽しい体験ではありますが、なくても支障はありません。別の文化圏ならどこでも発動するので、バチカンじゃなくても構いません。守らなきゃいけない対象でもありません。
一方で、「集団アイデンティティ」はなくては困るもの。「わたしたちの過去」は、他にはないわけですからね。他ではなく「ここ」でなきゃいけないのです。
コストを支払ってでも、守らなきゃいけない対象です。
だから神社は、日本人にとって特別な場所なんだね
【実践編】アネモイアを感じさせる方法
(やっと)実践の話に入ります。主に世界観の話です。
どうやったら、ターゲットの「アネモイア・センサー」を刺激できるか?
個人的ノスタルジーの場合は、「当時の世界の徹底的な復元」が勝ち筋でした。
バブル時代に青春を過ごしたターゲットを想定するなら、当時の世界を細かく再現することで、ノスを感じさせる。「そうそう!昔はこうだった〜」を引き出すんですね。
『ALWAYS 三丁目の夕日』は、この世界復元が秀逸だったので、叔父さんをノスでぶん殴れたわけです。
ところが、アネモイアの場合、本人は当時を知りません。
徹底的に当時の世界(例えば、平安時代の京都)を復元したところで、お客さんは一致っぷりを感知するセンサーを持っていない。
では、どうするか?
先ほど3つのパターンで、分けて解説しましょう。
すなわち、
- 「人間」の鎖
- 「文化」の鎖
- 「想像」の鎖
の3パターンで、それぞれどう「アネモイア・センサー」を刺激するかです。
え?どうするんだろう?思いつかないな…
これは、ナチュラルには思いつかないと思うよ。理論側からトップダウンで攻めないと辿り着けない
「人間の鎖」を感じさせる方法
人間の鎖は、「100年の鎖」でしたね。
曾祖母 → 祖母 → 母 → わたし
のような3〜4世代の「世代間接続」に焦点が当たります。
もちろん、「おじいちゃん → わたし」に世代スキップしても構いません。
大事なのは、「よく知っている人からバトンを受け取って、今の自分につながっている」という感覚を呼び起こすことです。
世界観の復元はまだ効く
〜100年だと、何だかんだで世界観の復元はよく効きます。
何となく、当時の生活感を知っているからです。
両親や祖父母のアルバムを見たり、昔話を聞いたりする機会はあったでしょう。昔の映像を見る機会もあります。
- 祖母が話していた台所
- 父親の子供時代の学校
- 実家に残っていた古い茶箪笥
- アルバムに写っていた服
- 祖父が使っていた道具
- 母親から聞いた近所の話
江戸時代の台所は、歴史資料と化してしまいます。もはや、縄文時代の竪穴式住居とあまり変わりません。どんなに忠実に再現したところで、博物館の鑑賞です。
しかし、昭和の台所なら、「おばあちゃんもこんな風に料理してたのかな」という感覚になりますね。明確に違う感覚ですね。エモさが生まれています。
昭和レトロくらいなら、当時の資料集などを参考に、世界観を再現する方向性が良いでしょう。
じゃあ、例えば「明治」だと、忠実再現の価値はないの?
ないことはないよ。忠実に再現すれば、没入感は増すから。ただ、アネモイアの1番の勘所ではなくなるというだけの話
「家庭」を思い起こさせる検索キー
例えば、世界観を伝える画像の中で、何を含めると効果的か。
両親・祖父母の昔を思い起こしてほしいので、日常生活にスポットライトを当てるのが良いですね。
- 古写真
- 古い住宅
- 家具
- 台所用品
- 学用品
- 家族の呼び方
- 方言
- 当時の服
- 身近な職業
- 学校
- 商店街
- 家庭料理
- 子育て
- 家族内の役割
などなど。
イメージ的には、『サザエさん』に出てくる感じ?
その感覚で良いと思う!
ここには、まだ「懐かしい」の感覚があります。
ただし、未体験の遠い過去を懐かしんでいるんじゃないですね。両親や祖父母、そして幼い頃の自分が懐かしい。「おばあちゃんちを思い出す」みたいな感覚です。
こういう細かいところが、無意識レベルでブランドの愛着につながるんですね。
「継承の瞬間」が強い

これは仮説の域を出ませんが、人から人へ、世代のバトンを渡す瞬間が、もっとも強いアネモイアになるのではないかと思っています。
- 祖母が孫に浴衣の帯を結んであげる
- 父親が子どもに墓前で手を合わせるよう促す
- 職人が若い弟子の手を取って刃物の角度を教える
まさに、現在の自分へと続く、「鎖の結び目」ですからね。
その瞬間に、アネモイアを強く感じるのは、全く不思議ではないでしょう。
「エモさ」と言った方がわかりやすい?
例えば、ただ「昭和の台所」をパシャっと画像にしても、過去と現在がつながります。それなりにアネモイアです。
ですが、もっと強い表現もできましょう。
- 昭和の台所で、お母さんが娘に料理を教えている
- 平成の台所でも、やっぱりお母さんが娘に料理を教えている
- そして、令和の台所でも…
これらのシーンが、連続して映し出される。

服装も髪型も違う3組の母娘。
同じように、一生懸命に何かをかき混ぜている娘。
同じように、暖かく見守る母。
親から子への継承イベントが、3つの時代で続けざまに。
かなり強力なアネモイアだと思います。
パターンは色々考えられますよね。
- 髪を結ってあげたり
- 七五三の服を着せたり
- 茶碗にご飯をよそったり
作品の利用シーンに合わせれば良いですね。
言われてみると、そういうCM見るね!?
エモい構成でしょ?
「文化の鎖」を感じさせる方法
では、「1000年の鎖」をどう見せるか?
*もちろん、150年前でも、300年前でも、5000年前でも構いませんよ。
歴史エンターテイメントで終わらせない
マーケティング的に重要なのは、「昔の日本」を描いて終わりにしないこと。
多くのクリエーター達は、
- なんとなく、着物
- なんとなく、長家
- なんとなく、提灯
- なんとなく、町娘
- なんとなく、北斎の絵
ってな具合に、とりあえず古い日本のモチーフを引っ張り出して満足します。
これはこれで面白いですよ。
「へぇ。昔はこんなだったんだ」って。
でも、これじゃ歴史エンターテイメントであって、アネモイアではありません。
歴史エンタメだと、どちらかというとエキゾチックよね
そう。エキゾチックとアネモイアの両方を刺激できるのに、もったいないよ
「これは、昔のわたしたちだ」
1000年前の世界に登場する人々は、顔も名前も知りません。もはや血縁でのつながりは感じられない時間軸です。
伝言ゲームはもう切れています。「誰から伝わったか」という特定の個人にフォーカスする意味はありません。
この状態で、「この人たちから続く長い営みの延長線上に、いま自分が立っている。自分もこの人たちの一員なんだ」という集団アイデンティティを感じさせるわけです。
つまり、
「これは、昔の人たちだ」ではなく、
「これは、昔のわたしたちだ」と理解させる。
なんかエモくて良いね♪
…でも、どうすればそう感じさせられるんだ?
時代を経ても「変わらないもの」を見せる
ポイントは、過去と現在の間にある「共通項」を見せるのです。つまり、「変わらないもの」を見せるわけです。
面白いことに、個人的ノスタルジーを感じさせるなら、「黒電話」とか「ブラウン管テレビ」など、現代から失われた「差分」を提示するのがセオリー。
しかし、アネモイアでは、そもそも世界は様変わりしています。どこもかしこも変わり果てた世界の中に、変わらない共通項を見出すのです。
- 個人型ノスタルジーは、「あの頃に戻った」
- 文化の鎖型アネモイアは、「自分はここから来た」
という違いですね。
この面白さ。伝わってるかな?(伝わんないだろうな)
たとえば、江戸時代の正月。
家も、街並みも、服装も、髪型も違う。顔が似ている以外は、似ても似つかない世界。

だけど、
- 朝起きて家族が集まる
- 新年の挨拶をする
- おせちっぽい特別な料理を食べる
- 神仏や祖先に手をあわせる
- お年玉をあげる
という行動アルゴリズムは、現代にも継承されています。
「全然違う世界だけど、この人たちも同じことしてたんだ」
「そうか、昔のわたしたちなんだ」
そう気づいた瞬間に、200年前と現代がつながるのです。この悠久の時を経てつながる感覚こそが、「アネモイア」ですよ。
むしろ、服装や髪型は全然違うくらいが良い。何もかも変わっちゃうほど時間が経っているのに、「やってることは同じ」というコントラストが効いてますから。
- 江戸の母親が、出かける子どもの襟を直してやる
- 子供が、お供物に手を出して叱られる
ってのも、現代に通じますね。
神社なんてのは、共通項が多い。ずっと同じことやってるんですから。
変わらない営みを見せるからこそ、歴史エンタメをアネモイアに昇華させられるんだよ
これは、思いつきでは難しい!
「想像の鎖」を感じさせる方法
想像の鎖が対象にしている世界観は、行ったことのない異国の地や、もはや存在しないファンタジーの世界。
ますます、正確に世界を再現する価値が薄れます。ファンタジーの世界など、そもそも再現する実物すらないですからね。
「現物」よりも「テンプレ通り」
例えば、「19世紀のロンドン」の世界観を表現しようとしたとしましょう。実際には行ったことのない世界です。
この場合、歴史的な正確性よりも、「ターゲットがどんな作品や文化からその世界を学習したか」が重要。
もし、ターゲットが『シャーロック・ホームズ』を通して学んでいるなら、「ホームズらしい19世紀のロンドン」であることの方が重要なのです。
ニュアンス的には、
- 「現物の世界がどうだったか」よりも、
- 「テンプレの世界がどう描かれていたか」が優先される
ということです。
憧れの元ネタを特定しよう
- 「19世紀のロンドン」でも
- 「戦国時代の日本」でも
- 「文明が滅びた後の東京」でも
こういった想像の世界をブランドの世界観として採用するからには、何か「特定の元ネタ」があると思います。
映画、マンガ、小説、ゲームなどでしょうね。
ターゲットのお客さんも同じ。その世界観の向こうに、大好きだった作品を思い描いています。
ならば、その元ネタの世界観を踏襲するのがベストですね?

(言わなくても伝わるよね?)
(わかる、わかる。アレな)
設定資料集などあれば、ぜひ入手しておきましょう。
ただ、「ジブリ風」「ディズニーランド」と言ってしまうと、権利的にアウトです。作家とお客さんの間で、語らずとも、阿吽の呼吸で理解し合えば良いことです。
過去~現在~未来を接続させる
『ヒカルの碁』をご存知でしょうか?
囲碁のルールが全くわからなくても面白いという奇跡のマンガです。
『ヒカルの碁』のあらすじ
小学6年生のヒカルは、おじいちゃんの家の蔵で、古い碁盤を見つけます。碁盤についた血痕を見たことで、平安時代の天才棋士「藤原佐為(ふじわらのさい)」に取り憑かれれしまいます。
佐為は囲碁を打ちたくてしょうがないのですが、他の人には見えないし、会話もできません。そもそも碁石を持てません。
そこで、ヒカルが代打ちすることに。そのうちに、何やかんやでヒカルも碁が好きになって、ついにはプロ棋士にまで成長します(その頃には高校生くらいになってたかな?)。
ところがある朝、目覚めると佐為が消えていました。事実を受け入れられないヒカルは、碁を打つのを止め、佐為ゆかりの地を訪ねて回ります。しかし、佐為は見つかりません。
そんな折、心配した棋士仲間がやってきて、不承不承ながら対局することに。そして、自分の打った手の中に、佐為がいることに気がつきます。
再びプロとして戦う決意をしたヒカル。その後は快進撃によって、日中韓の若手が3人チームで競い合う「若獅子戦」のメンバーに選出されます。
最終回、若手最強クラスの韓国主将の高永夏(コ ヨンハ)と対局。下馬評では明らかに格上と目されたヨンハに肉薄し、ギリギリの差で破れてしまうものの、互角の勝負を繰り広げました。
ヨンハに碁を打つ理由を問われたヒカルは、次のような言葉を残します。
主人公のヒカルが、最終回で放ったセリフ。
「遠い過去と遠い未来をつなげるために、そのためにオレはいるんだ」
良い言葉ですね。

そうです。アネモイア(というよりノスタルジー全般)で売っていくとは、こういうこと。
人は、自分が経験していない過去さえ、自分の世界に取り込むことができる。家族から受け取ることもあれば、文化から受け取ることも、物語から受け取ることもある。
そしてクリエーター自身もまた、その世界を次の誰かへ渡す媒体になれる。
記憶の画家

commons.wikimedia.orgより引用
(個人型)ノスタルジーの記事で紹介した「フランコ」に登場してもらいましょう。
フランコは、イタリアの坂がちな田舎町ポンティトで生まれ育ちました。しかし、戦争で町を出なければならず、その後アメリカに移住することになりました。
渡米して間もなく、フランコは原因不明の昏睡状態となり、以降ありし日のポンティトの映像が脳裏から離れなくなってしまいます。
既に過ぎ去って久しい、在りし日のポンティト。フランコが描かなければ、彼の頭の中を最後に、世界から消える運命でした。
しかしフランコは、そうさせたくなかった。
だから描くことで、あの頃のポンティトを永遠に残そうしたのです。

francomagnani.netより引用
主には自分のアイデンティティのためと思いますが、後世に引き継ぎたい思いもあったはずです。
フランコは狂ったように、自分の記憶の中だけにある戦前のポンティトを描き続けました。そうして、「記憶の画家」と呼ばれるようになりました。
「記憶の担い手」というクリエーターの在り方
そんな高尚な哲学を持たなきゃ、クリエーターはダメだと言っているわけではないですよ。でも、それがお客さんの心を打つことは分かりましたね?
あなたが「郷愁」を感じる記憶は、決してあなただけのものではありません。同じ記憶を共有している人が大勢います。そして、その記憶は、継承され得るものです。
誰かが受け継がなければ、その暖かくも切ない何かは、この世界から消えてなくなってしまうでしょう。確実に。
家電時代は、友達に電話をかけたら、親が出るか友達が出るかは五分五分でした。
「そろそろかかってくるはず」と、電話の近くで待機した思い出もあるでしょう。
その思い出も、既に記憶の中にしかありません。我々の世代がいなくなれば、この記憶は世界から消え去ることになります。
そうだよなぁ…。50年後はもう消えてそう
事実、大半の記憶は、そうやって消えていきました。
記憶を後世に受け継ぐ「記憶の担い手」もまた、クリエーターの1つのあり方だと思いますよ。
連続性の架け橋を作ろう
現代と遠い昔で、世界のほとんどが変わってしまった。
けど、変わらずにつながっている何某かを見つけて、「架け橋」を作ってあげる。
そんなアプローチが良いですね。
| 橋 | 過去と現在で一致させるもの | 例 |
|---|---|---|
| 行為の橋 | 同じことをする | 手を合わせる、墓参りする、乾杯する |
| 儀礼の橋 | 同じ順序で行う | 初詣、祭礼、葬送、年中行事 |
| 場所の橋 | 同じ場所を使う | 神社、街道、山、川、墓地 |
| 物質の橋 | 同じ物を受け継ぐ | 家具、道具、器、建物、家宝 |
| 言語の橋 | 同じ言葉を使う | 挨拶、ことわざ、祈り、地名 |
| 音の橋 | 同じ音を聞く | 鐘、祭囃子、童謡、地域の音 |
| 食の橋 | 同じものを食べる | 正月料理、郷土食、祝い膳 |
| 役割の橋 | 同じ人生役割を担う | 親になる、子を育てる、看取る |
| 価値の橋 | 同じ判断原則を持つ | 恩を返す、客をもてなす、先祖を弔う |
| 継承の橋 | 人から人へ渡される | 祖母→母→娘、親方→弟子 |
| 因果の橋 | 彼らの営みが現在を作った | 水路、街、産業、学校、祭り |
| 未来の橋 | 自分も次代へ渡す | 「自分も子どもに教える」 |
この表は、本記事のノウハウの総決算といったところで、
- 「人間」の鎖
- 「文化」の鎖
- 「想像」の鎖
全ての鎖に適用できる汎用ルールと言えるでしょう。
絵面の中に、これらの要素を1つ2つ挿入してみる。
それだけで、「エモさ」が劇的に変わります。普通にやろうとすると大変ですが、今は生成AIがありますからね。うまく使ってください。
アネモイアを設計するフレームになるね
永久保存版!
