
直接お話しした作家さんも、SNS上で呟いている作家さんも、口々に「最近は、特集の掲載されても全然売れなくなった」という声をよく耳にします。
SNS上でちょこちょこ絡んでいる作家さんからは、「一目惚れで買うというより、同価格帯で似たようなものを検索して吟味するようになってそう」とコメントをいただきました。
これを聞いて思ったのです。
- 「あぁ、ハンドメイド作品を買う体験は、もう非日常ではなくなったんだな」
- 「もはや、日常の買い物になってしまったんだな」
と。
日常の買い物であれば、特集に載っただけで売れるということはないでしょう。必要としていて、尚且つ値段が妥当でなければ、買おうとは思いませんよね。
この記事では、
- これまで、特集はなぜ売れていたのか?
- なぜ、特集掲載の神通力が切れたのか?
- これから先は、どう売っていくべきか?
を解説します。
なお、特集掲載が売上に大きく貢献していた時代を、「コロナ禍」の頃という前提で話を進めます。
非日常の買い物とは?

まず、「非日常の買い物」について、軽く触れておきましょう。
ディズニーランドは未だに「非日常」として機能しています。というより、非日常感を失ったら、もはや存続できないビジネスモデルですよね。
キャストが園内を徹底的に清掃をするのは、「客商売はキレイな方が良いよね」という一般的なレベルの話ではありません。
「チリ一つないファンタジー(非日常)にしなければならない」というより高次元の話。単なる客対応を超えた、ブランディングの範疇です。
この辺をよくよくわかっているからこそ、ディズニーランドは、他社では代替できない特別なポジションに居座ることができるわけですね。
非日常だからこそ、多少割高でも、飲食やグッズを納得して購入できます。金銭感覚はバグっています。財布の紐は、普段より緩んでいます。
旅行先の買い物もそうですね。非日常の財布の緩みです。
日常の買い物だったら、そうはならんな!
去った非日常。帰ってきた日常

コロナ禍になった瞬間は、外に出れない日々が続きました。
鬱憤が溜まって、「とにかくお金を使いたい!」と思っていた人は多かったでしょうね。
そこに、個人の作家さんが作った、風変わりなハンドメイド作品を発見。
- 探してみると、本当に色々ある!
- うわぁ、見たことないのばっかり!
- これもカワイイ!あれもカワイイ!
- え、特集だって?
- まぁ、ステキ…!
と。
それまでのように、メルカリ・Amazon・楽天・zozoを徘徊するのと、minneやCreemaを徘徊するのは、全く違った新鮮な体験だったと思います。
はじめてミンクリ見たら、ワクワクするよね
うちの妹も、それでピアスとか買ってたよ
特集掲載作品は、見慣れている中の人がピックアップしているわけですから、平均的なレベルよりも高いことが多いでしょう。
コロナも非日常。
ハンドメイド作品を買う体験も非日常。
そんな中での、「特集掲載」は、目新しいお客さんにとっては、とっても魅力的なシグナルだったのではないでしょうか?
それから時は流れ…
コロナは風邪の一種となり、日常が戻ってきました。
ハンドメイド作品も見慣れて、特別な購買体験とはみなされなくなりました。
- ショッピングセンターでの買い物
- 街に出かけてする買い物
- 仕事帰りに駅ビルでする買い物
と、変わりないポジションに落ち着きました。
というより、以前の形に「戻った」というのが正確ですかね。金銭感覚も、財布の紐の緩みも、かつてのそれに戻ったのです。
こうなってくると、世の中には、そこそこの品質で安く売られている工業製品がたくさんあります。また、高い品質を担保する、ちょい高めのブランドもあります。
というか、元々あったのです。ハンドメイド作品は、そういう元々市場にあった商品達と、真っ向からバッティングする状態に戻ったのです。
冷静な頭に戻ったんですね。
こうして「特集掲載」の神通力は失われたと。
うちの奥さんも特集掲載は何度かしているのですが、売上に貢献したのは片手の指で収まる程度。あまり恩恵はありませんでした。
というのも、奥さんが作品を売り始めたのは、もう普通に外出している頃。「アフターコロナ」に突入しつつあった頃で、すでに神通力は弱っていたんだと思います。
ここで話した物語は、ただの仮説。ほぼ妄想ね
当たらずとも遠からずな気はするけどね〜
そうしてハンドメイド市場はどうなった?

コロナ以前から、ハンドメイドの市場はありました。
変わったアイテムが好きなお客さんは、元々minneやCreemaを見ていて、イベントにも足を運んでいました。そういう小さい市場は、元々あったのです。
コロナ以前からいたお客さんを、仮に「コア顧客」と呼ぶことにしましょう。
コロナ禍で巣篭もり需要が爆発したことで、ハンドメイド市場にちょっとしたブームが訪れます。ここで、それまでハンドメイド作品に触れてこなかった層がやって来ます。
コロナで新しくやってきた層は、「ライト顧客」と呼ぶことにしましょう。ハンドメイド作品を好むマインドは持っているものの、「コア顧客」ほど強くはありません。
「ライト顧客」によって市場の裾野が広がったことで、ハンドメイド業界に参入する新規作家も増えました。
しかし、コロナ禍が落ち着いて、日常が戻ってくるるとともに、「ライト顧客」の需要は減退。一度広がった市場は、再びシュリンク(収縮)します。
現在のハンドメイドの市場規模は、「コロナ禍以前よりはやや大きいが、コロナ禍ブームのときよりは随分小さくなっている」と、いったところでしょう。
厳しくなった市場環境
もちろん、まだハンドメイド作品に触れたことのない人(例えば男性とか)もたくさんいます。しかし、そういう層は元々ハンドメイドをそれほど好んでいません。
フラッと魅力に気づいて市場にやってくるお客さんはいるものの、何か大きなきっかけがない限りは、大勢に影響を与えるレベルではありません。
結局、ブーム時に新規参入した作家が、大量に残ってしまっている状態。
- 需要は落ち着いたのに、供給は多いまま。
- コロナ禍以前よりも厳しい市場環境になってしまった。
結果として、「作品のレベルは高いし、同レベルで人気作家さんもいるのに、なかなかブレイクできない新規作家さん」が溢れているんじゃないですかね。
ボクはコロナ前のハンドメイド市場を知らないのですが、様相はずいぶん変わったのではないでしょうか?
「以前はもっとほんわかしてたけど、今はなんだか殺伐としてきたような…?」と感じるなら、そういうことなんだと思います。
市場は混雑するほど、殺伐としていきますから。
昔からやってた作家さんからすると、コロナ禍のブームは迷惑だったのかね?
多分、「ガッツリ恩恵受けて人気作家になれた人」と「そこまで辿り着けなかった作家」で、感想は割れると思う
そんな市場をどう生き抜くか?

大きな方向性としては、
- 再び、ハンドメイド作品の購買体験を「非日常」に持っていく
- 「日常」でも売れるようにする
のどちらかになります。
ブランドの「非日常化」はハードモード?
前者は難しいですよね。
コロナという外部装置のおかげで、勝手に非日常へと変貌してくれたあの頃のハンドメイド市場。
そんな美味しい市場に相乗りできた時代とは違い、いまやあなたは、独力で自分のブランドを非日常に持っていくわけですから。
これは難儀ですよ。
すでにある「非日常イベント」にあやかる
「旅行」や「ライフイベント」のような、すでに存在する非日常に乗っかるという手はあります(観光地のお土産屋のラインナップは、近所の商店街だったらまず売れないでしょう)。
ただし、そこにも競合はいるので、裾野が空いている非日常イベントを探すことにはなりますが。
購買体験をエンターテイメントにする
さもなければ、本当に自ブランドの購買体験を、非日常まで引っ張り上げることになると。購買体験を、一種のエンターテイメントにするということです。
以前にゴスロリ系の作家さんの話を聞いたとき、このジャンルの人気作家を教えてもらいました。これは、本当にブランド自体が非日常感のあるものでした。
敷衍(ふえん:意味を押し広めてわかりやすく伝えること)して言うなら、
- 世界観をハッキリ、クッキリと定義する
- 世界観を加速させるものだけ見せて、そうでないものは視界から排除する
- 上記を鬼徹底する
そうです。先に述べたディズニーランドがやっていることです。
これは、どんな作家であってもできること。できる限りやるべきことではあります。
やれば必ずプラスになるものの、これだけで売れるところまで持っていくのは結構難儀。どこまで再現性を求められるかは、難しいなと思います。
面白いテーマじゃん。そういう記事も書いたら?
そうね…そのうち(書けるのか?)
「日常」でも売れるようにするには?
やはり現実的に、「日常」の買い物でも選んでもらえるようにするのが安牌でしょう。
ちなみにこの辺りは、当サイトの至る所に方法論が書いてあるので、ここで細かくは挙げません。
本記事の文脈で、軽く触れる程度にします。
品質でぶっち切る
とある小説家さんの興味深いエピソードを目にしました。
その方は、元々はライターをやっていて、小説以外の文章を書いていました。志望は小説家だったので、こっそり小説を書いて、馴染みの編集者に見てもらったそうです。
そうしたところ、次のような会話になったそう。
- 「面白かったですよ。小説も書けるんですね」
- 「ホントですか!じゃ、お宅で出版できます?」
- 「それは無理」
あれあれあれ?
出版してくれないの?面白かったのに?
この理由が、実に現実的なのよ
これがもし、すでに名の売れた作家であれば、一定の注目が担保されている。売れるポテンシャルが見込めるので、出版の企画を通せる。
しかし、無名作家じゃ、誰も注目してくれない。売れてない作家は、ぶっち切りに面白い作品を書いてくれないと、企画は通せない。
似てますね。この構図。
あなたと同じ品質レベルで、人気作家さんは、おそらくいます。あなたも気づいていて、「なんであの人は売れて、わたしはそこまで売れないだろう」と疑問に思っているかもしれません。
その答えがこれ。
後発プレイヤーほど、ぶっち切らなきゃお客さんの視界に入らないのです。
硬派で、大変な道でしょうね。実に不器用な道でもあります。でも、ボクはこういう作家さんは大好き。もしあなたがこの道を選ぶなら、心の底から応援したいと思います。
紫の牛を売る
ライバルをぶっち切る以外にも、お客さんの注目を集める方法はあります。
こう考えてみましょう。
あなたが「ブレイクダンス」で注目を集めたいと思ったら、すでに注目を集めているブレイクダンサーよりも上手に踊れなければなりません。当然ですね。
しかし、あなたが「オリジナルのダンス」、あるいは「非常に珍しいダンス」を踊るのであれば、注目を独り占めできます。
すでにメジャーなブレイクダンスほど多くの人には注目されませんが、少数の人には確実に目に止めてもらえるでしょう(試しに、近所の広場で踊ってみます?)。
このような話を、著述家のセス・ゴーディンは、「紫の牛」と表現しました。
「茶色い牛」や「白と黒の牛」じゃ、誰も目に止めてもらえません。多少毛並みが良かろうが、多少身体が大きかろうが、大同小異。注目には値しません。
しかし、「紫の牛」だったらどうでしょう?
もう、それだけで目が釘付け!
センスある例えよなぁ。こういう例えを出してみたいよ
いつぞやの「タマちゃん(多摩川に紛れ込んだアザラシ)」みたいなもんだね
ターゲットに特化しよう
しかし、デタラメに穿って目立てば良いというものではありません(ま、それでも目立たないよりはマシですけど)。
できることの1番は、もう耳タコでしょうが、「ターゲットを絞ること」です。言いすぎて陳腐な響きになっていますが、これがビジネスに普遍の大々々原則なのです。
「靴」が発明されたばかりの世界を想像してみてください。スリッパとスリッポンを足して割ったような靴を想像してもらいましょうか。
みんな、荒れた舗装から素足を守ために、この単純な形状の靴を履いています。
そこに、スポーツ用に特化した「スポーツシューズ」が登場したら?
グリップが効くゴム素材のソールで、靴紐を締めて足の形にフィットします。動きやすいので、スポーツにはピッタリです。
スポーツプレイヤーは、この「スポーツシューズ」に飛びつくでしょう。
しかし、このスポーツシューズは、どれかのスポーツに特化しているわけではありません。
そこに、「サッカー用のスパイク」が登場したら?
感覚的にボールを蹴りやすいように、足の形に沿った滑らかなフォルム。芝生の上を疾走しやすいソールの突起。全体的に軽量な作り。
サッカー選手は、こぞってサッカースパイクに飛びつくでしょう。
ターゲットを絞るとは、こういうこと。より数は少ないが、より渇望しているお客さんに目掛けて、商品を特化させるということです。
このときの考え方として、「全く新しい市場を0から作る」とは考えないことです。「誰も靴を履かない世界で、新しく靴市場を開拓しよう」という発想はNG。
習慣を根付かせるのは、買ってもらうより大変ですから。
- バレンタインやクリスマスが日本に根付くのに、どれだけ時間がかかったか?
- あなたが謎の新習慣を考えて、それを人々に根付かせるのにどれだけ時間がかかるか?
想像したらゲンナリ…
そうではなく、すでに買う習慣のある市場を選び、その中を細分化する市場の線を書き足すのです。「すでにある靴市場の中に、スポーツシューズ市場の線を引く」の発想です。
すでに世の中に存在していて、多くの人が普通に買い求める商品。ここに、あなたらしい作風を施して、ごく小さな割合の人が熱狂する作品に仕上げる。
これが、「ターゲットを絞る」ということ!
(最後に)特集なんて気にすんな
一応、「特集」に関する記事はすでに書いています。
季節物、年中行事系は、今でもそれなりに売れると思いますよ。
ただ、特集なんてものは、所詮インプ稼ぎの一手段に過ぎません。しかも、気まぐれで、他力本願で、安定しない手段です。
固執する必要は、全くないと思いますよ。
うちの奥さんは、今後も特集を気にして何か特別な行動をとることはありません。たまたま掲載されたら、「サンキュ」ってなだけです。

コメントを残す