
これといって得意なことはない。
自分には、特別な才能はない。
そう感じている人が大半と思いますが、そんなことはありません。
どんな人でも、必ず「才能」があります。
何かしら、他人より秀でた能力を持っています。
人間の能力は、パラメータの割り振り。
何かの能力が高ければ、その歪みで必ずどこかの能力は劣っているものです。逆も然りで、不得手があるということは、その分どこかに得手があるのです。
それが「才能」ですよね。
あなたの才能はどこにあるでしょう?
自分で把握していますか?
ある質問で、あなたの才能の在処がわかります。
楽しむ者最強説

後ほど科学的な考察を挟みますが、まずはフィーリングを掴んでもらいましょう。
ボクには、座右の銘がたくさんあるのですが、その1つを紹介します。
2500年前に孔子が言った言葉です。
これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は楽しむ者に如かず
『論語』より
- それを「知っているだけの人」は、それを「好きな人」には勝てない
- 「好きな人」でも、「楽しむ人」には及ばない
と言っているんですね。
楽しい仕事以外を排除した話
ボクがサラリーマンを辞めた決断も、この言葉に影響されたところが大きい。1番は、子供と過ごす時間を大切にしたかったからですが、それだけじゃないんです。
辞める直前にやっていたのは、IT系のプロダクト企画。これ自体は好きな仕事でした。
- 調査したり、
- 考えたり、
- プレゼン資料作ったり、
- お客さんと話したり、
は大好きなんです。
ただ、ホワイトカラーというのは、得てして「社内調整」が主たる業務になります。これがイヤでイヤで…。
しかも、出世するほど社内調整の割合は増して行き、最終的には1日中会議ばかりになるという。なんと夢のないキャリア。
しかも、マネジメントも苦手なんですよ。仕事をお願いするのに、ものすごい気を使っちゃう。
「あぁ、向いてないな」と思いました。
そうやって、楽しくない活動を人生から排除していって、今に至るわけです。このブログは、ボクにとって楽しい活動なのです。
もしサラリーマンを続けていても、中途半端な立ち位置で、もがいていたんじゃないですかね…。
かなりリスクあるので、マネして欲しいわけじゃないよ
「楽しむ人」と「好きな人」の差は?

さて、孔子の言葉に戻りましょう。
孔子は、
楽しむ人 > 好きな人 > 知っている人
という序列を付けています。
「楽しむ人」と「好きな人」の間には、明確な差がありますが、
ここが分かりにくいですよね?
確かにね。「好き」と「楽しむ」ってどう違うんだろう?
読み解くと、「孔子スゲェな」ってなるよ
「面倒くさい」の感情から読み解く
この話を理解するには、「面倒くさい」という感情から展開していくのが良いでしょう。あなたもボクも、毎日感じている厄介な感情です。
実は、「面倒くさい」は、怠惰な感情ではなく、脳内アルゴリズムが合理的にコスパ計算した結果なんですね。
脳は、過去の経験データを参照し、そのタスク遂行に必要なコストを弾き出します。同様に、そのタスク遂行から得られる期待リターンも算出します。
そして、「投下コスト > 期待リターン」であった場合に、ブレーキをかけるために「面倒くさい」という感情をアサインしているんですね。
至極真っ当なアルゴリズム
動物は、植物と違って突っ立ててもエネルギー摂取できませんから、自ら動いて食糧を探します(だから「動物」なんですよ?)。
体内のエネルギーを燃やして、外部からエネルギーを調達するわけです。
調達コスト(消費カロリー) > リターン(摂取カロリー)
だったら、ガス欠で死んじゃうじゃないですか。
怠惰じゃなくて、経済合理性で判断した結果の「面倒くさい」なんですね。
「面倒」「飽きた」「ダルい」は、同じ感情グループよ。投下コストに対して、期待リターンが低いときにアサインされる感情
具合悪いときの「ダルい」も、そういうことか!
「面倒くささ」は最強の参入障壁
そう考えると、みんなが「面倒くさい」と感じていることは、参入障壁として機能することがわかりますね。
一般に「参入障壁」というと、
- 資本(金・人材・工場など)
- 技術
- 知財
のイメージ。
本質は、排他的な(他ではマネできない)生産要因です。
であれば、「経済合理性がない」は、参入障壁以外の何ものでもありません。
面倒くさく感じないことが才能
もし、他の人が「面倒くさい」と感じる一方で、あなたは面倒に感じないタスクがあるとしたら。
それは、あなたに適性のあるタスクということになりますね。
- 他人 → コスト超過。エネルギー収支が赤字
- 自分 → 低コスト。エネルギー収支は黒字
あなたは、生産性が高い。
あなたには、競争優位があるということ。
「才能」と呼んでも良いでしょう。
真相に近づいてきたね
ドキドキ…
個人的には、「マンガ描ける人」はスゴイ才能だなと思います。シーン1つ書くのに、いちいち絵を起こすのって、ものすごいエネルギーですよね。
参入障壁の高さはハンパじゃないです。普通の人は、全く収支が見合わなくて、絶対に続きません。それでも描き続けられるというのは、本当に限られた才能です。
「好きなこと」より「苦がないこと」
再々度、孔子の言葉を思い出しましょう。
楽しむ人 > 好きな人
でしたね。
「好き」は大変結構なのですが、好きだからといって、適性があるとは限りません。
- サッカーが好きだからといって、部活でレギュラーを取れるわけではない
- ホットドッグが好きだからといって、早くたくさん食べられるわけでもない
一方で、「苦がない」は、明確に適性があります。
- 細かい作業
- 長時間継続
- 反復による試行錯誤
が、苦にならないということは、コストが低いということ。
コストが低いから、継続できる。
継続できるから、さらに習熟が進んで競争優位が増していく。
「苦がない = 楽しい」
ときに、「苦」の反対は「楽」ですね。
「苦がない = 楽しい」と言えるのではないでしょうか?
適性としては、
楽しむ人(苦がない人) > 好きな人
ですね。これは明確にそうです。
うわぁ!そういうことかー!!
2500年前で、これに気づいてるのヤバない?
「なお」の個人的な話
おそらく、ほとんどの人は、1,000文字(原稿用紙2.5枚分、空白なし)を書くのは、面倒だと思います。
ボクにとっては、1,000文字というのは本当に軽いもので、chatGPTに投げる質問文が大体1,000文字です。
普通の人の「1,000文字」は、ボクにとっては「10,000文字」くらいだと思います。いや、それ以上かもしれません。10,000文字でも苦じゃないですから。
ボクが文章を書くコストは、他の人の1/10以下。だからこそ続けられるわけです。すごい競争優位ですよね。
ただ、「好き」もある程度の継続理由になります。継続すれば、習熟してコストが下がるので、競争優位は生まれます。
「知っている」より適性があるのは確かです。
あなたの才能を知るための質問

というわけで、「才能」とは、
- 面倒くさくない
- =苦がない
- =コストが低い
- =継続できる
ということになりますね。
繰り返しますが、これは「意志」とか「根性」の話ではなく、「経済合理性」の話です。気持ちで乗り越えられる類ではないと心得てください。
だから、「才能」なのです。
そうとなれば、あなたの才能のありかを探る質問はこう。
- 「他人が面倒くさがるけど、あなたは面倒に感じないことは?」
- 「意識せずに、長年継続している活動は?」
- 「人生で、長い時間を費やしてきた活動は?」
どうでしょう?
何かしらあるでしょ?
コスパ度外視できることは?
こういう言い方もできるでしょう。
あなたが必要に迫られて「経理」を学ぼうと思ったとき、どう学習するでしょう?
Amazonレビューで高評価な『個人事業主の確定申告はこれ1冊!』みたいな本を手に取るのではないでしょうか。あるいは、有名な税理士YouTuberのまとめ動画を見るかもしれませんね。
ともかく、コスパを気にして、なるべく労せず済ませようとします。
受験勉強とかもそうでしょ?
逆に、そうならない方が珍しくないか?
「コスパ思考」がいの一番に来る時点で、そこに才能はない。
イタリアンの才能がある人は、イタリアンに関する本は全部読んで、その上でフレンチや和食の本も読む。それらに飽き足らず、盛り付けのためにデザイン本、彩りのために色彩の本まで手を伸ばす。
99%は役に立たないとしても、1%のヒントのために喜んで熱量を捧げられる。70点80点で満足せず、学習曲線上では極めてコスパが悪い100点を切望する。
「コスト度外視」に見えますが、深いところでは、コストがリターンに見合っているんですね。その人にとっては、実行コストが低く、期待リターンが大きいわけです。
こういうところに、素晴らしい「才能」が宿っているんですね。
才能を活かそう!
それが制作に関する才能であれば、もちろん素晴らしいことです。
- ずっと絵を描ける
- ずっと編み物できる
- ずっと図案を考えていられる
なら、紛れもなくあなたは作家に向いています。
ですが、それだけじゃないと思いますよ。
例えば、
- ずっと本を読んでいられる
- ずっと海を眺めていられる
- 休日はいつも、散歩して季節探しをしている
というのも、才能だと思います。
ボクは、ずっと海を眺めていられないですもん。見ている時間の基礎代謝もコストですから。作業するなり、寝るなりすると思います。
ずっと海を眺めていられる人は、深いところで、収支が見合っているわけです。これも一種の才能です。
こういった才能を、ぜひあなたの作家活動に紐付けてほしいなと思います。その才能は、あなたにとっての競争優位性ですから。
もちろん、その才能が、必ずしも市場需要があるとは限りません。
ただ、社員100人・年商100億の事業を作るわけじゃありませんからね。クリエーター業界は、どんな才能であれ、受け入れてくれるくらいの懐の深さはあると思っています。
それが「河原で石ころを拾う才能」でも、個人作家なら活きる道あると思うよ?
才能は誰にでもある!

ここまで言ってもまだ、「私なんかに才能があるのかな?」と思っている人もいるでしょう。疑り深い人ですね、まったく。
心配は入りません。
あなたにも「才能」はあります。
原理的に、「才能がない人」はあり得ませんから。
言い切った!
続きを聞いてもらえばわかるって
能力はリソース配分
人間は、すべての動物の中で、もっとも優秀な「頭脳」を持っています。
じゃあ、
- 身長3mにして、
- クマみたいは筋骨隆々の体にして、
- ライオンみたいな顎と牙を持たせたら、
最強の生物になりそうですね。
最強の頭脳に、最強の肉体!
けど、それは実現し得ないんだな
生物は進化の過程で、獲得可能なエネルギー量に応じて、各臓器にエネルギーを配分しています。ある臓器を高スペックにしたら、他の臓器は低スペックにせざるを得ません。
脳と体のどちらも高スペックにしてしまったら、必要なエネルギー量が爆発的に増えてしまいます。それでは、かえって生存に不利。無限に強化はできないわけです。
人間は「脳」にエネルギーを全振りした種ですね。
だからこそ、他の部位は、ビックリするほど貧弱です。
(コラム)人間は集団行動を前提に設計されている?
お粗末な脳のイカでも10本足を器用に使いこなせるのですから、人間の脳なら、手足100本くらいは難なく使いこなせるでしょう。
しかし、脳に予算を割り振りすぎたので、予算オーバーです。ひ弱な肉体に甘んじるしかありません。
言ってみれば、CPUだけ最新のオンボロPCみたいなもの。CPU性能をフル活用するためには、PCをつなげて並列処理するしかないでしょう。
不釣り合いに高性能な脳を持つ人間は、集団行動を前提に設計されています。だから、人間は社会的動物であり、徒党を組むのです。
人間の間でも同じ
生物種の間の「才能」が、体内のリソース配分によって生じていることを論じました。
同じ人間の間でも、同構造が現れています。何かの能力が高ければ、当然の帰結として、他の能力に割り振るリソースは減るのです。
逆も然り。苦手なことがあるということは、そこに割り振られなかったリソースが、別の能力に割り当てられていることになります。
目が見えない人は、聴覚やその他の感覚器官が鋭く発達します。視覚の処理に費やされていた膨大なリソースが浮いたことで、他の能力に割り当てることができるからです。
計算能力がずば抜けている人は、その反動で、別の能力が欠けているはずです。それは、他人の感情を読み取る能力かもしれませんし、人の顔を覚える能力かもしれません。
この文脈で個人名を出すのは気が引けるのですが、さかなクンや藤井聡太さんは、何らかの欠点を引き受ける代わりに、尖った才能が現出しているタイプかと。
才能を活かせる生き方を選んだということが、素晴らしいと思います。
そういう意味では、「欠点がない人」ほど「尖った才能がない」ということになるね
器用貧乏って、こういうことなんだな
サヴァン症候群
顕著な例に、「サヴァン症候群」があります。
サヴァン症候群とは、自閉症などの発達障害等のある人が、ある特定の分野で天才的な能力を発揮する現象のこと。
- 異常な「記憶力」だったり
- 異常な「計算能力」だったり
- 異常な「空間把握能力」だったり
発揮する異能は様々です。
未使用になっていたリソースが、別の能力に割り当てられた結果と見るべきでしょう。
山下清さんも、サヴァン症候群だったのではないかと言われています。

行く先々で見た風景を瞬間的に映像記憶に留めて、あの驚異的とも言える貼絵を描いていったと言われているのです。
山下清さんは、軽度の知的障害と言語障害を持っていました。
3歳児ナディアの例
言語障害を持ったナディアという3歳半の少女が、誰に教わるわけでもなく、描いた絵がこちら。

普通の3歳は、てるてる坊主みたいな絵しか描けませんからね。このデッサン力は異常です。
しかも、普通馬を描こうと思ったら、頭の方から順番に描いていきますよね。ナディアの場合は違います。バラバラのパーツを描いて、最後に線をつなげているのです。
どうやったら、そんな順序で描けるんでしょう?
絵は割と得意な方だけど、これはわからんわ…
この話には続きがあります。
後に訓練によって、ナディアの障害は緩和していきます。そして、言語能力を身につけるにつれ、異能的デッサン能力は失われていったのです。
言語能力は、非常に複雑で広範な認知機能です。言語を操るために、脳は一体どれほどのリソースを犠牲にしているのでしょう?
本来なら言語に使うはずのリソースが、まるっと浮いたら…。どんな異能も不思議じゃないと思えてきます。
確かに…!
他の動物からしたら、「言語」は第一級の異能よね
あなたにも才能がある!
少々大袈裟な話をしてしまいましたね。
言いたかったのは、
- リソース配分によって能力に得手・不得手が現出する
- 「不得手」があるなら、必ず「得手」がある
- どんな人でも、何かしら比較優位を持つ能力がある
ということです。
ボクは「言語化」とか「文章」が得意ですから、その分、他の能力が弱いはずです。絵描いてみたい気持ちはあるんですけど、多分苦手分野なんじゃないかと思ってます。
ここで言っている「リソース」とは、ざっくり言えば「カロリー」です。人によって、摂取カロリー量にそこまで差はないでしょう。
たくさん食べる人もいますけど、相応に大きな体を維持するためにカロリーを消費しちゃうので、他の能力に割り振るほど残りません(体が大きいのも一つの才能ですが)。
あなたやボクはスポーツ選手じゃないですから、期待しているのは「脳」に関する能力です。脳が正味利用可能なリソース総量は、人によって大差は開かないでしょう。
その割り振りの問題ですから、「才能がない人」というのは原理的にあり得ない。
全く不得手がなければ、逆に得手もないわけですが、ボクの観測上、作家さんはまずまず苦手分野があるように思います。
- 「人付き合い」が苦手だったり
- 「感情表現」が苦手だったり
- 「言語化」が苦手だったり
「苦手なこと」はスラスラ言えますよね?
そこで浮いたリソースは、別の能力に割り振られているはずですよ。
もし、あなたが「すごく何かが劣っている」という自覚があるなら、それは飛びっきり特別な才能を持っていることの裏返しです。
断言できます。
あなたにも、間違いなく「才能」はあります!
そしてその才能は、あなたが行使できる「最強の参入障壁」であることを、どうか忘れないでください。

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