写真も文章も、ドヘタで苦手意識があります。
とてもセンスのある作家さんのようにはできません。「映え」もしませんし、「バズ」も1度もありません。
こんな私では、ハンドメイド作家としてやっていけないのでは?と思うと、とても気が重いです。
数をこなすしかない気もするのですが、どうしても苦手意識が前に来てしまいます。どうすれば、写真や文章のセンスのなさを、克服できるでしょうか?
なるほど〜。
本人にとっては切実な悩みですが、ぶっちゃけると悩むに値しない話です。
こういうのは、さっさと乗り越えてしまうに限りますね。
この手の悩みには、明確なアンサーがある!
もう2度と悩まないように、バシッと言うよ!
まずはクイックに結論から。
「センスは100%不要。ごく基本的なやり方を学んで、あとはとにかく実践しよう」です。
映えもバズも考えなくて良い
まずは、質問者さんが足りないと感じている「映え」や「バズ」の話をしましょう。
ハンドメイド作家に「バズ」はいらない
「バズ」というのは、ネット上で拡散され、短期間に大量のインプレッション(露出)が集まる現象を言います。
インフルエンサーやYouTuberは、この「バズ」を狙って、日々をネタを考えています。そしてあなたは、彼ら彼女らのようなマネはできないと言っています。
いや、できなくて構いませんよ?あなたはハンドメイド作家であり、インフルエンサーでもYouTuberでもありません。「バズ」を狙う必要などない身分です。
というのも、インフルエンサーやYouTuberは、インプレッションが売り物です。
YouTubeであれば、1再生されて広告が閲覧されると、0.1〜1円くらいの収入になります。だから、頑張ってバズらせて、再生数を稼ぎたいのです。
一方でハンドメイド作家は、自分の商品を持っています。ハンドメイド作家が売っているのは、1インプレッションあたりの広告費ではなく、あくまで自前の商品です。
商品ありきのビジネスは、「バズる」ほどのインプレッションを必要としません。フツーに見られて、その中の何%かが買ってくれればそれで十分なのです。
何百万リーチも、何万フォロワーもいらない。その10分の1もいらないよ
「映え」はあっても良いが必須ではない
「映え」とは、「写真映りが良い」ということですね。
まぁ、映えるに越したことはないでしょう。ただそれも、「ベター」であって、「マスト」ではありません。
疑うなら、あなた自身の行動を思い返してみてください。
あなたがネットで買った
- その洋服
- そのバッグ
- そのダイニングテーブル
は、写真が映えていたから買ったのでしょうか?
きっと違うと思います。
写真から、
- 実物のイメージがよく見て取れたからじゃないでしょうか?
- 実物を身につけたり、部屋に置いたシーンを、頭に思い描けたからじゃないでしょうか?
確かに、映えた写真はきっかけにはなります。マーケティング的に言えば、「CVR(クリック率)」を上げる効果はあるでしょう。もちろん、良いことです。
しかし、実際に買われるかどうかに関しては、「映えているか」ではなく、「実物のイメージがよく伝わっているか」の方がずっと重要です。
実物以上によく見せる危険性を理解して
また、「映え」は、往々にして、「現実世界に脚色して、必要以上によく見せる」というニュアンスも含んでいます。
実のところ、インスタ上の「映え写真」は、何気ない日常を写したものではありません。「ヤラセ」ばりに作り込んだ上で、さらに画像を加工しまくった末の1枚です。
あれは完全にフィクションだよなぁ
まぁ、エンタメとしてはそれでも良いでしょう。お化粧しまくって、実物とはかけ離れたシーンを撮るのも、また一興です。
しかし、ハンドメイド作品では、実物以上によく見せる小細工は絶対ダメ。
「メニューの写真では、お肉モリモリだったのに、実際に頼んでみたらショボかった」という経験はないでしょうか?
- そのときどう思ったでしょうか?
- また同じメニューを頼みたいと思ったでしょうか?
- また同じお店に来たいと思ったでしょうか?
ボクなら「次はもういいかな…」と思うね
きっとあなたもそうじゃない?
行動経済学の「ピーク・エンドの法則」に則れば、購買体験の満足度は、「最高潮のシーン」と「最後のシーン」の印象だけで決まります。
実物以上に期待値を上げてしまっては、いざ作品が届いて、箱を開けた瞬間の「最高潮のシーン」を台無しにしてしまうのです。
改めて、あなたが売っているのは、仮想空間での「バズ」でも「映え」でもなく、実物の「作品」であると認識しましょう。あなたはインフルエンサーではなく、ハンドメイド作家なのですから。
「どう」伝えるかよりも「何を」伝えるか
これは写真でも文章でも共通なんのですが、「どう」伝えるかよりも、「何を」伝えるのかの方が、ずーーーーっと大事です。
例えば、あなたが気になっている「掃除機」があるとしましょう。
次のどちらを見たときに、「よし買おう!」と思うでしょうか?
- カラフルで、おしゃれなアニメーションが効いていて、とっても見やすいが、情報が断片的にしか載っていないプレゼン資料
- 装飾は一切なく、ただ情報が箇条書きになっているだけだが、知りたい情報は全て網羅されているワード文書
そう。知りたい情報が載っていない限り、「買いたい!」とはならないのです。
大事なのは、見た目ではなく中身。キレイでカラフルに盛られて、完璧に映えてるコース料理でも、味が不味かったらどうしようもありません。
ハンドメイド作品の「何を」伝えるか?
ハンドメイド作品の写真や文章において、「何を」伝えるべきでしょうか?
簡単です。前の章でも少し触れました。
「実物の作品の100%」を伝えるのです。まだ実物を見たことがないお客さんに、実物を持ったかのような気分にさせるのです。
写真であれば、全アングルが必要ですね。あとは、実際に使っているシーンを想起できるような着画も必要です。とりあえずは、これで及第点です。
文章にしたってそう。あなたの作品を全く知らないボクに、あなたの作品のことを、しゃべって説明してみてください。それを文章にすれば、とりあえずは及第点です。
「どう」伝えるかは、その先の話。まずは「何を」伝えるかだけに集中して!
生まれ持ってのセンスなど不要
「センス」という言葉は、往々にして「生まれながら持っている才能」のようなニュアンスで使われています。
おそらくあなたも、「センスがない」を、「そんなオシャレに撮ったり書いたりする才能はない」という意味で使っているのではないでしょうか?
もしそうであるなら、ハッキリ言って「才能」など全く必要ありません。
才能を必要とする場所に、あなたはいない
あなたが目指しているのは、おそらく、「ハンドメイド作家として飯を食っていく」くらいのレベルでしょう。いや、もっと上のレベルでも構いませんよ。
賭けても良いですが、あなたは才能が必要なフィールドで戦ってはいません。
「才能が必要」と言えるのは、
- メジャーリーガーになる
- 将棋でタイトルを取る
- オリンピックでメダルを取る
とか、そういうレベルの人達の話です。
才能のなさで涙を流すのは、「大谷翔平」や「藤井聡太」に挑んで、どう足掻いても勝てないと気づいてしまった人達の話です。
あー、そんなレベルは全然考えてないね
しかも、あなたが悩んでいるのは、作品の話ではなく、さらに枝葉の「写真」や「文章」の話でしょう。
あなたはピューリッツァー賞を目指す写真家ではなく、直木賞を目指す小説家でもありません。才能なんて、まっっったく必要ありません。
平均的なレベルで良いのです。偏差値50で十分。偏差値55もあれば、もう完璧、言うことなし。そんな程度のレベルです。
基本を学べばそれで良い
偏差値50で良いのですから、大した努力は必要ありません。偏差値50の高校に受かるくらいに、ごくフツーの参考書で勉強すればOKです。
仮にあなたが偏差値40の高校だったしていたとしても、それは偏差値50の高校に行く気がなかっただけの話。やろうと思えば、絶対にできます。これも賭けても良いです。
写真であれば
写真であれば、カメラ性能の良いスマホを用意してください。iPhoneであれば、SEじゃなければ概ね大丈夫です。欲を言えば、ミラーレス一眼のカメラだと尚良しです。
そして、物撮りの本を読んでみてください。本屋さんでペラペラっとページをめくってみて、良さそうなものを買ってもらえればOKです。
本の通りに撮ってもらえれば、それで十分通用します。
文章であれば
文章を書くのは、単に「日本語ネイティブ」というだけでは不十分です。というのも、学校では、あまり文章の書き方には触れないからですね。
そこで、少しだけお勉強が必要になります。
と言っても、
- 「ちゃんと伝わる文章の書き方」
- 「モノを売るためのコピーライティング」
で、それぞれ本を1冊ずつ読んで、実践するだけ。
それだけで、偏差値50はいけます。総じて文章が苦手なハンドメイド作家内に限れば、偏差値65くらいはいけるかもしれませんね。
オススメの書籍は、↓の記事で紹介しています。
あとは数をこなすだけ
ここまで来たら、あとは数をこなすだけ。質問者さんも理解しているように、最後は数で上手くなっていくしかありません。
と言うのも、いくら学んでみたところで、アウトプットをしてみないと見えてこない部分が往々にしてあるんですよね。
物撮りの本で学べば、とりあえずそれっぽい写真は撮れます。
しかし100枚、1,000枚と撮っていくうちに、だんだん、「イケてる写真」と「あんまりイケてない写真」が判別できるようになってきます。
それは、言葉にして説明できるものである場合もあれば、感覚的で言葉にしづらい場合もあるでしょう。いずれにしても、場数によって審美眼は養われていくのです。
確かにねぇ。何事も場数を踏むと、違う世界が見えてくるよね
また、このブログでボクの記事を読んだあなたは、どんな感想をもったでしょうか?
実はこのサイトは、通算で5個目か6個目です。過去には、恥かしくなるようなしょうもないサイトもありましたし、ほとんど誰にも読まれなかったサイトもあります。
書籍にすれば数十冊分にはなるであろう量の駄文を、ネット上に晒し続けて、ようやく「自分にしか書けない良いブログが作れたな」というのが今の心境です。
いま確かに言えるのは、場数を重ねれば、確実に、そして着実に上達していくということです。
というわけで、センスは不要!
基礎を学んで、あとは実践あるのみだ!
参考記事
コメントを残す